宇宙航空環境医学 Vol. 62, No. 1, 37 2025
一般演題III
6. 宇宙環境による身体的健康問題に対する漢方処方の可能性
平岩 茉奈美1,名畑 美和1,藤塚 直樹1,最上 祥子1,大西 俊介2,武田 宏司2
1株式会社ツムラ ツムラ漢方研究所
2北海道大学大学院薬学研究院分子細胞医薬学
The potential of Kampo medicine to mitigate the health impacts of the space-flight environment
Manami Hiraiwa 1, Miwa Nahata 1, Naoki Fujitsuka 1, Sachiko Mogami 1, Shunsuke Onishi 2, Hiroshi Takeda 2
1 Tsumura Kampo Research Laboratories, Tsumura & Co.
2 Faculty of Pharmaceutical Sciences, Hokkaido University
宇宙環境は,微小重力や宇宙放射線,環境ストレス等により,筋肉の消耗や萎縮,骨量の減少,免疫機能の低下等,身体的健康に大きな影響を及ぼす。これらの生体応答反応は,進行速度は異なるものの老化により認められる所見に類似している(Camera A. et al., Sci. Rep., 2024;Strollo F. et al., Front. Physiol., 2018)。さらに,宇宙滞在を経たヒト・マウスの生体内ではミトコンドリア機能異常や代謝不全が認められることから,宇宙環境下の生体応答反応におけるミトコンドリアの重要性が示唆されている(da Silveira WA. et al., Cell, 2020;Garrett-Bakelman FE. et al., Science, 2019)。したがって,老化によるミトコンドリア機能異常やエネルギー代謝不全を標的とした研究は,宇宙医学の発展への貢献が期待される。
医療用漢方製剤には,体力・気力の低下等を訴える虚弱な患者に使用される「補剤」と呼ばれる処方がある。近年,補剤研究が盛んに行われており,特に老年医学の分野で,補剤の有用性を示す成果が多く報告されている(Nahata M., et al., NPJ Aging Mech. Dis., 2021;Matsubara Y., et al., Biosci. Biotechnol. Biochem., 2022)。中でも補中益気湯は,高齢者の身体機能低下や栄養状態を改善する作用が報告されている。さらに基礎研究では,補中益気湯がミトコンドリアを作用標的とし,老化により低下したミトコンドリアターンオーバーやエネルギー代謝を改善する可能性が示されている(Nahata M. et al., Front. Physiol., 2022)。これらのことから補中益気湯は,宇宙環境下によるミトコンドリア機能障害やエネルギー代謝変化,栄養障害を改善しうる可能性を秘めていることが予想される。そこで,栄養障害によるミトコンドリアストレスを誘導した老齢マウスを用いてミトコンドリア機能やエネルギー代謝変化に対する補中益気湯の作用を検討した結果を概説する。
雄性C57BL/6Jマウス(若齢;9週齢,老齢;23〜26ヵ月齢)に,通常摂餌量の30%量を与える5日間の制限食給餌により低栄養状態を惹起し,糖原性アミノ酸負荷後のエネルギー代謝や活動変化,低栄養状態の惹起による肝オートファジー活性化を,メタボローム解析等により評価した。補中益気湯は,老齢マウスに4週間,1.5%で混餌投与し,その後,制限給餌中も同程度混餌投与した。
低栄養状態の惹起による変化を比較したところ,若齢マウスでは制限食負荷により筋肉量が低下するが,糖原性アミノ酸アラニンの投与後に糖新生や活動量上昇が観察された。これらの変化は老齢マウスではみられなかった。エネルギー代謝に重要な肝ミトコンドリアに着目したところ,老齢マウスでは,ミトコンドリア量や関連代謝物の低下,制限給餌によるミトコンドリア生合成関連遺伝子およびオートファジー/マイトファジー関連遺伝子の発現誘導の減弱がみられた。一方,補中益気湯を投与した老齢マウスでは,アラニン投与後の熱産生,活動量等の一部回復が認められた。さらに,制限給餌によるミトコンドリア生合成およびオートファジー/マイトファジー関連遺伝子の発現誘導や,ミトコンドリア関連代謝物量が回復した。
以上より,補中益気湯は,マイトファジー活性化およびミトコンドリア新生の亢進により,加齢によるミトコンドリア機能不全およびエネルギー代謝不全を回復させたことから,宇宙環境下でのミトコンドリア機能異常に対しても有用である可能性が期待される。