脳血流および頭蓋内圧に関する宇宙飛行士を対象とした宇宙飛行実験|Spaceflight studies on astronauts for cerebral blood flow & intracranial pressure

シンポジウム 1

ISS利用宇宙医学研究の成果―長期宇宙滞在の医学リスク軽減

脳血流および頭蓋内圧に関する宇宙飛行士を対象とした宇宙飛行実験

Spaceflight studies on astronauts for cerebral blood flow & intracranial pressure

Division of Hygiene, Department of Social Medicine, Nihon University School of Medicine

宇宙飛行による体液シフトは，有人宇宙開発初期から知られる循環系の変化である。その地上模擬実験であるヘッドダウンティルトベッドレストは，日本においても，日本人初の宇宙飛行が行われる1990年代より前に実施されていた。我々も1980年代に体液シフトと身体活動度低下の人体影響を検討し本学会で報告している（佐伯ほか，宇宙航空環境医学25:103-4, 1988）。この頃すでに体液シフトの脳循環への影響が懸念されていたが，当時は簡便な脳血流の測定法がなく，検討はほとんど行われていなかった。1990年代には，超音波エコーの技術が発展し経頭蓋ドプラ血流計により非侵襲的に中大脳動脈の血流を測定することが可能になった。そして，スペースシャトルの運用も軌道に乗り，概ね2週間までの短期の宇宙飛行の実験が頻繁に行われるようになった。この頃，体液シフトの影響で脳血流調節機能が悪化し宇宙飛行後の起立耐性低下の一因になっている可能性が懸念されるようになっていた。そのため，スペースシャトルニューロラボミッションの16日間の短期宇宙飛行において脳血流の測定と脳血流調節機能を評価する実験が行われ，私も参加する機会を得た。その研究の結果は，予想に反し，脳血流は変化せず，脳血流調節機能はむしろ向上していた（Iwasaki et al. J Physiol 799-810, 2007）。2000年代に入り，国際宇宙ステーションが運用され，火星探査を見据えて数か月の宇宙滞在が行われるようになった。その長期宇宙飛行において，これまでは捉えられていなかった眼球の変化（視神経乳頭浮腫，脈絡膜ヒダほか）を呈する宇宙飛行士の例が報告され（Mader et al. Ophthalmology 2058-69, 2011），Spaceflight Associated Neuro-ocular Syndrome（SANS）と呼ばれ注目を集めるようになった。SANSの原因の一つとして，体液シフトにより頭蓋内圧が上昇している可能性が疑われた。実際にMaderらは，視神経乳頭浮腫を発症していた宇宙飛行士に対し飛行後に腰椎穿刺を行ったところ脳脊髄圧が比較的高値であったと報告している。しかしこれまで，飛行中はおろか，飛行前後の頭蓋内圧変化を評価した研究もなかった。そこで我々は，国際宇宙ステーションクルー11名を対象に，飛行前後で脳血流速度波形と動脈圧波形を記録し，それらの波形の解析から頭蓋内圧を推定する実験を行った。その結果，予想に反し11名のグループ平均の頭蓋内圧推定値は有意に上昇することはなかった。さらに，SANS兆候のなかった9名の頭蓋内圧推定値のグループ平均値は飛行後に有意に低下していた（Iwasaki et al. J Physiol 1067-81, 2021）。つまり，宇宙飛行が系統的に頭蓋内圧を上昇させることはなく，むしろ低下させることを世界で初めて捉えた。一方，2例がSANS兆候を示したが，1例のみ頭蓋内圧が顕著に上昇し，もう1例は低下した。また，飛行中4か月目においても3例で体液シフト症状（顔のむくみ感，鼻閉感）が明確であったが，そのうち2例はSANS兆候を呈さず，頭蓋内圧も低下していた。つまり，顕著な体液シフトや頭蓋内圧上昇以外のSANSの原因がある可能性が示唆された。これまで様々なグループがSANS関連の研究を行い，幾つもの原因仮説が提示されているが，未だ広くコンセンサスを得るようなエビデンスを捉えた研究はなく，更なる研究の進展が望まれる。またこの我々の長期宇宙飛行実験では，11名の脳血流速度のグループ平均が飛行後に有意に増加することも捉えることができた。この宇宙飛行後の脳血流の増加は，長期宇宙飛行による飛行後の貧血が原因である可能性が血液検査の結果から示唆された。このように飛行前後で脳血流が増加し頭蓋内圧が低下する変化が認められたが，宇宙飛行中の経時的な変化はまったく不明である。そのため，現在，長期宇宙飛行中の脳循環の経時的変化を捉えるための実験を，国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士を対象に実施中である（https://humans-in-space.jaxa.jp/kibouser/subject/life/70551.html）。