仙台赤十字病医誌 Vol.29, No.1, 1, 2020

巻頭言

論文について思うこと

仙台赤十字病院院

舟山 裕士

要旨

中国武漢から発したコロナウイルスの世界的流行で,アジアはおろか欧州が大変なことになっている.火消しに来た消防士が実は放火犯だったということが現実に起きているように思ってしまうのは私だけだろうか.PubMedで“coronavirus, covid-19”をキーワードで検索すると,昨年の12月以降のものだけでも900件以上がヒットした.その多くは中国人からの論文である.ウイルスの出自や防疫上の問題とは別として,コロナウイルスという未知のウイルスに立ち向かうための経験は圧倒的に不足しており,しかも時間がない.感染したときの症状,ウイルスの遺伝子情報などなんでも少しでも情報があれば,手がかりとなる.そのためには症例報告が貴重な情報源だ.
 未経験の疾患に対処するための方策を考えると,先達の経験に学ぶのが最も手っ取り早いし正確である.われわれは,そのために論文を書き,読むのである.
 医学とは経験の学問といえる.より沢山の診療経験を積んだものがよりよい医療を行うことができる.しかし,一人の医師が経験できる患者の数はたかがしれている.その経験の不足を補うために,先人の論文を読んだり,学会で他人の発表を聞いたりするのである.最終的に,治療指針やガイドラインは過去の質の高い論文をもとに作成される.
 話は変わるが,われわれはこれまでに日本史,世界史を学んできた.国のなりたちとか他国との関係を経験するには数千年,何百年かかる.しかし,人間1人の人生はたかだか80年にすぎない.間違った判断をしないために過去の歴史を勉強するのである.したがって,歴史は科学的に正しく記述される必要があるし,歴史は正しく理解しなければならない.先人の過ちをくり返さないために歴史は記録される.患者を正しく治療するために論文は書かれ読まれる.
 昔,論文を書いている最中に上司から「君の論文を待っている人が必ずいるのだから,必ず書くように」と背中を押されたことがある.自分の書く論文がどれだけ世の中のためになるか,なかなか理解しにくい.しかし,パブリッシュされた後で,いろいろな人から「先生の論文読んだよ」「参考にしています」など評価の言葉をもらうとうれしいものだ.特に欧文での論文は,反響が大きい.ダウンロード出来るようになった今では少なくなったが,リプリントの請求は結構くるので対応するのも大変だった.メールで直接知らない人から意見をもらうこともあり,それが海外のラボからの留学の誘いだったりもする.わかったことは,どんなにマニアックな仕事でも世界のどこかには似たようなことをやっている研究者が必ずいるということである.私は,小腸潰瘍の形成機序を形態的に解明する仕事を学位論文にまとめたのだが,そんな変なことをやっているのが英国に1人だけいて論文を書いた後で連絡をもらって驚いたことがある.世界は広いということを痛感した.