仙台赤十字病医誌 Vol.19, No.1, 1, 2010

巻頭言

結核病棟閉鎖に関連して

仙台赤十字病院長 桃野  哲

はじめに,複十字321号に青木正和結核予防会会長が日本の結核の歴史についてお書きになった文章の一部を紹介します。歴史的には,鳥取県の遺跡から発見された1,800年前の人骨に見られる結核性変化が日本で一番古い結核で,その後しばらくの間,日本は人口密度の低い農業または狩猟国だったので結核はまん延すること無く経過し,江戸時代に入ってやや広がりをみせ,明治維新後の産業革命になってから本格的に日本の結核の流行が始まり国中にまん延したそうです。
 平安時代に書かれた源氏物語の桐壺更衣は,描写から推測すると結核だったでしょうと古文の授業で教わりました。明治以降では正岡子規,樋口一葉,石川啄木や宮沢賢治等々,多くの著名人が結核で死亡しています。結核まん延期に製糸工場で働き結核に罹患して亡くなった女工と家族への取材で書かれた「ああ野麦峠」からは,当時の日本の社会・経済の状況や公衆衛生,結核医療が分かります。終戦の前後には多くの人が戦争と結核で亡くなり,そのために日本人の平均寿命は短く,1960年には67.8歳でG7の中では最短でした。その後,日本経済の復興に伴い国民が豊かになり,十分な食べ物と抗結核剤が入手可能になり,国も必死になって結核医療に力を入れたため,結核による死亡者は減りました。高度経済成長期の終わる1972年には,平均寿命は世界最長になり,今も維持されています。
 数年前結核予防法が改正されて,結核は一般の感染症と同じ範疇で扱われることになりました。多くの市民が,結核は治る病気と考え,終戦直後のように死に至る恐ろしい病気とは思わなくなりました。今,結核予防会がスポンサーのテレビCMでビートたけしさんが「この中の四人に一人が結核に感染しているかも知れないなんて,昔の病気かと思っていたよ。あんた大丈夫,他人事ではないよ…」と結核に注意を喚起しています。一般の人は驚くかも知れませんがその通りで,日本の結核罹患率は人口10万対19.4で,我国は未だに結核が流行している中まん延国であり,多剤耐性結核菌も出現しているので,油断は出来ないと考えられます。
 このような状況ですが,仙台赤十字病院は平成21年11月30日をもって結核病床を返上し病棟を閉鎖しました。当院は,大正13年(1924年)10月18日に,その前身である日本赤十字社宮城支部診療所が開設して以降,日本の結核まん延期から抗結核剤の開発などで結核が治る現在まで約85年の間,継続して多くの結核患者さんを診療して来ました。しかし,最近の6,7年間は,国が結核の診療報酬を低く抑えているために,結核病棟を運営することによる出費が病院経営に大きな負担になりました。過去3年間,当院では宮城県と仙台市から結核病棟運営に対して補助金を受けましたが,それでもこの間に,一般診療の収益から約5億円を結核病棟運営で生じた赤字の穴埋めに投入しています。しかし,国の医療費削減の影響で,一般診療の収益も減少してきて,結核の赤字を埋められなくなりました。そのため,結核病棟の維持が難しくなり,過去に,県内で多くの病院が結核病棟の運営から撤退したように,結核病棟を閉鎖することにしました。
 当院は,結核病棟を閉鎖して結核入院診療をやめました。本誌には岡山博呼吸器科部長による,結核医療に対する論説が掲載されています。是非お読みいただいて,日本の結核診療の問題点を知り,当院の結核病棟閉鎖の顛末についてもご理解を賜りたいと思います。
 最後に,今年も,診療に多忙な中で多くの皆様から論文を投稿していただいたこと,及び編集委員各位と山田委員長のご協力によって仙台赤十字病院医学雑誌が発行できましたことに感謝致します。