宇宙航空環境医学 Vol. 61, No. 1, 19, 2024

一般演題 2

1. 空間識失調を克服する前庭視覚協調学習:金魚行動実験とモデルシミュレーション

田所 慎1,2,3,進士 裕介1,山中 都史美1,平田 豊1,4,5

1中部大学大学院工学研究科
2防衛医科大学校医学科耳鼻咽喉科学講座
3航空自衛隊
4中部大学AI数理データサイエンスセンター
5中部大学創発学術院

Training for spatial disorientation:goldfish behavior & model simulation

Shin Tadokoro1,2,3, Yusuke Shinji1, Toshimi Yamanaka1, Yutaka Hirata1,4,5

1Chubu University Graduate School of Engineering
2Department of Otolaryngology, Head and Neck Surgery, National Defense Medical College
3Japan Air Self-Defense Force
4Center for Mathematical Science and Artificial Intelligence, Chubu University
5Chubu University Academy of Emerging Sciences, Engineering

【背景】 空間識とは,前庭系,視覚系,体性感覚系等,複数の感覚信号の統合によって形成される自己の姿勢と運動状態の知覚である。例えば,頭部加速度センサである耳石器だけでは重力に対する傾きと並進加速状態を識別できないが,角速度センサである三半規管の応答と統合すれば,原理的には両者を識別できる。ただし,センサ特性の不完全性や生体ノイズにより,正しい運動状態が推定されない場合がある。これを空間識失調と呼び,航空機事故の原因の33%を占める。これまで,傾きと並進運動を識別する計算理論として,周波数選択的機能分離仮説や,カルマンフィルタ等の確率的状態推定理論に基づく内部モデル仮説が提唱されているが,その神経メカニズムの詳細は不明である。また,これらの仮説では,空間識形成特性は動物が経験してきた運動の統計的性質に基づいて適応的に獲得されると仮定されるが,実際の獲得過程についても未知である。空間識形成過程の詳細を探る指標として,その基礎となる知覚にのぼる前の自己運動状態推定結果を反映する前庭動眼反射(VOR)がある。神経科学ならびに宇宙医学分野においては,金魚のVORについて多くの生理・解剖・計算論的研究がなされてきた。
 【目的】 運動経験により傾き・並進識別特性が変化することを実証する。また,その変化の時間特性を明らかにする。さらに,この現象を数理モデルにより説明する。
 【方法】 金魚に並進・傾き運動と視覚刺激を与えるシステムを開発し,金魚前方への左右方向視覚刺激と並進運動(0.5 Hz, 0.2 G)の協調学習前・中・後のVORを計測・評価した。さらに,Laurens & Angelaki (eLife, 2017)の空間識形成過程のカルマンフィルタモデルを拡張し,眼球運動生成システム等を付加した新たなモデルを構築して,学習前後の運動状態推定およびVORの変化をシミュレートした。
 【結果】 Naiveな金魚は,暗所での左右並進運動中に傾き運動補償に適した垂直性VORを示した。これが高々30分程度の視覚・並進協調学習により,前方視野安定化に適した水平性VORに変化した。この時,傾き運動に対しては学習前後で同様の垂直性VORが誘発された。モデルでは,学習前後において,受動並進運動の分散の大きさを変化させることにより,同様のVOR変化が再現された。
 【考察】 VORで評価した並進運動推定の誤りは,少なくとも今回用いた刺激に関しては,高々30分程度の学習により修正されることが明らかとなった。モデルでは,学習中の受動的並進運動経験により,カルマンフィルタに入力される並進運動ノイズの分散が増大し,この現象が再現されることが示された。これらの結果は,これまでの傾き・並進識別理論における仮定の妥当性を裏付けるものである。