宇宙航空環境医学 Vol. 59, No. 1, 52, 2022

東北宇宙生命科学研究会

トリチウム及び炭素からの被ばく線量評価

増田 毅

環境科学技術研究所 環境影響研究部

Assessment of Exposure Doses from Tritium and Carbon

Tsuyoshi Masuda

Institute for Environmental Sciences

2011年に発生した東日本大震災に伴う津波は,原子力発電所の過酷事故を惹き起こした。発生した汚染水は多核種除去設備(ALPS)によって浄化処理されたが,その処理水には,ALPSによって除去できないトリチウム水(HTO)が含まれており,現在その海洋放出に対して社会的な関心が高まっている。海洋に放出されたHTOは環境中で一部が有機化され有機結合型トリチウム(OBT)になる。これに対し,OBTで摂取した場合はHTOよりも被ばく線量が大きく増加するのではないかとの懸念が表明されている。現在の線量評価に用いられている国際放射線防護委員会(ICRP)の線量係数は,公衆のHTO経口摂取では1.8×10-11 Sv Bq-1,OBT経口摂取では4.2×10-11 Sv Bq-1となっている。ICRPの線量係数を信頼すれば,OBTの影響はHTOに対して2.3倍程度であり,過度に恐れる必要はない。しかし,懸念を表明する人達に対しては,それらの値に関する丁寧な説明が必要である。また,線量係数の信頼性を高めるためには,その値の実験データによる検証も必要である。
 公衆のOBT経口摂取に対する現行のICRPの体内動態モデルに用いられている3つのパラメータのうちの1つ(摂取直後の代謝によるOBTからHTOへの分解率)は,ヒトのデータが不足しているため小動物のデータに依存している。そこで我々はトリチウムに代えて安全な重水素を標識した様々な化学物質をボランティアに投与し代謝データを得た。また,OBTは結合している有機炭素と同じ代謝を受けるため,その代謝速度は有機炭素の代謝速度から推定することが可能である。そこで同様に13C標識物質をヒトに投与する実験からも代謝データを得た。これらのデータにより,小動物の実験データから設定したICRPモデルのパラメータがヒトでは安全寄りであることを明らかにした。
 ICRPでは,現在内部被ばく線量評価方法の見直しを進めている。線量係数の改訂は公衆のためのものに先立ち,作業者のためのものから進められ,トリチウムの線量係数については2016年のPublication 134で与えられている。その際,ICRPはこれまでの線量係数を求めるのに用いていたトリチウム体内動態モデルとは異なる改訂体内動態モデルを採用している。作業者に引き続き公衆のための線量係数についての刊行物も作業が進められており,トリチウムに関する社会的な議論にも関わってくる可能性がある。