宇宙航空環境医学 Vol. 59, No. 1, 16, 2022

シンポジウム 3

月社会における医学・ライフサイエンス分野の取り組み

月居住に向けた精神心理面での挑戦的課題

笹原 信一朗1,道喜 将太郎1,松崎 一葉1,2

1筑波大学医学医療系 産業精神医学・宇宙医学
2筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構

Challenging psycho-psychological issues for moon residence

Shin-ichiro Sasahara1, Shotaro Doki1, Ichiyo Matsuzaki1,2

1Occupational Psychiatry and Space Medicine, Faculty of Medicine, University of Tsukuba
2International Institute for Integrative Sleep Medicine, University of Tsukuba

1960年代より加速した宇宙開発は,現在の国際宇宙ステーション(ISS)時代に至り宇宙でも健康で快適な生活を送るための医学的支援技法を確立し,今や日本人宇宙飛行士も職務として長期滞在を行なっている。このISS環境では,微小重力や宇宙線・放射線等の自然環境のみならず,低照度,人工的昼夜変化,振動,騒音などの人工的・技術的な制約があり,極度にストレスフルな環境での生活を強いられている。今後は民間の宇宙開発と相まって月居住の計画が検討される段階となっている。そこで想定されているMoon Village(以下,MV)では,宇宙飛行士やその他の参加者が,国際宇宙ステーション(ISS)で遭遇するような心理的・身体的ストレス(隔離・閉じ込め,限られた居住環境,対人関係の問題,微小重力,宇宙放射線など)にさらされることで,これまで知られていなかった新たなストレス要因が発見される可能性がある。そこで,これまでに得られた知見をまとめ,今後の月居住にあたっての精神心理面での挑戦的課題を検討する。
 これまでに生理的および心理的反応を評価するためISSの条件を模擬した多くの閉鎖実験研究(ISEMSI, EXEMSI, HUBES, SFINCSS-99, Mars500, HI-SEAS)が行なわれて来た。これらのアナログ閉鎖実験研究からは,極端に高い精神的負荷や制御できないストレス要因が,ワーキングメモリ,実行機能,認知機能などの認知能力を低下させることが分かって来ている。また,生理学的な指標ではコルチゾールがストレスマーカー候補として一貫した結果が出ていた。他に注目されるのは事例レベルでは人間関係の衝突の問題が多く報告されており,初期のミュール宇宙ステーションでのロシアとアメリカでの初の共同運用においては宇宙飛行士同士の人間関係の衝突は地上スタッフへの怒りとして置換されやすいことが報告されている。現在,SIRIUSがロシアIBMPにて将来の月面から深宇宙探査に向けてのアナログ閉鎖実験として実施されて来ており,その結果が今後注目される。
 これまでの様々な研究結果をふまえると,MVではISSと比べてさらに地球から遠く離れ,宇宙滞在期間も長くなるため,宇宙飛行士の健康とパフォーマンスへの心理的ストレスの影響は,深刻な問題となることが予想される。そこで,アナログ環境での長期滞在の影響を調べた南極越冬隊での研究結果が今後注目されている。しかしながら,南極越冬隊のこれまでの医療データの分析からは精神科医療のニーズは意外と低く,医療技術等の進化に比して,先行研究で従来より指摘されて来ている人間関係の問題は今後の月面居住の時代にも引き続き重要かつ挑戦的な課題として残っていく可能性が考えられた。
 なお,本発表内容の一部は,JSPS科研費 15H05935,15H05941の助成を受けた。