宇宙航空環境医学 Vol. 59, No. 1, 10, 2022

シンポジウム 2

宇宙社会を目指して:人文社会系からの提言

近代社会・文化の相対化と人類社会の可能性―宇宙人類学の視点から―

岡田 浩樹

神戸大学 国際文化学研究科

Relativization of modern society and culture and the possibility of human society ― From the perspective of space anthropology ―

Hiroki Okada

Graduate School of Intercultural Studies, Kobe University

本報告の目的は,宇宙空間への適応の過程で生み出される新しい文化の可能性について,文化人類学の視点から検討することである。
 人類の宇宙への進出は,人類史上の「Great Journey」(旧人の出アフリカ)にも比すべき,未知の環境への居住空間拡大がなにをもたらすのかは未知数である。その過酷な環境への適応に際し,文化人類学からのアプローチとしては,宇宙空間における生活世界の展開において従来の人類社会の文化的多様性から得られる知の問題,宇宙空間から見た近代社会の対象化の問題,宇宙におけるコミュニティや社会の「設計」の問題,あるいは宇宙開発が提起するポストヒューマン社会など,多様なtopicが想定される。
 本報告では,まず,近年の文化人類学における文化人類学的研究の展開について紹介し,その上で「宇宙人類学」の問題系について(1) 「過去」(民族誌,歴史)の人類文化の応用,(2) 「現在」(生活世界 Lebenswelt の拡張),(3) 「将来」(科学技術が生み出す リアリティの拡張),(4) 「未来」(人類学的想像力 に基づく人類の可能性に整理を試みた。
 それらのtopicのひとつ,宇宙における長期滞在がもたらす価値観の変容,身体的変容,知覚的変容の問題について,宇宙飛行士のインタビュー,手記などの記録を手がかりとし,Olson(2010, 2012), Suedfel(2010)などの先行研究を参考に検討した。宇宙居住がもたらす変化:長期滞在者の経験においては,(1) 価値観の変容,(2) 身体の変容,(3) 存在論的変容の3つの変容を見いだすことができる。このうち,(3)の存在論的変容とは微少重量環境の変化に対する身体的「順応」が起こるだけでなく,空間認識の感覚に変化が起きている。そうした中で,身体と空間,身体とモノとの関係にも変化が起きる。つまり微少重力空間では,人間と場所,モノとの独特な交渉を契機として,場所,モノと人間との 新たな 《結合》 が構造化され始めている可能性がある。それは,人間存在がもつ根本的な空間性が変化することを意味する。これは人間存在は「何かの用になる用具的存在者」たる具体的なモノと,自分の身体とのあいだに半意識的に積み重ねられてきたモノの使用をめぐる「莫大な量の交渉」を基盤に構成されているためである。
 こうした観点に立つと,宇宙空間における長期滞在がもたらす存在論的変容は,近代社会・文化がよってきた二項対立的な認識(人間/物(道具),人間/環境,精神/身体)を組み替え,新しい社会・文化のあり方をもたらす可能性がある。本報告では,アフォーダンス理論,アクターネットワーク理論などを参考・援用しつつ,宇宙空間では人類の生活世界に対する認識体系に関わる空間やモノとヒトとの関係の変化(存在論的変容)が宇宙空間で起きうる可能性があることを指摘した。
 最後に,宇宙人類学の観点からは,このような存在論的変容が起きうる宇宙空間における長期滞在,未来の人類の宇宙進出・移住は,身体・社会・文化の変化をもたらす可能性がある。これは人類社会史上における劇的な変化,100万年前のGreat journey(原人の出アフリカ),約1万2,000年前の農耕の開始,18世紀中盤からの産業革命(近代社会・文化の成立)に比しうる変化である。