宇宙航空環境医学 Vol. 59, No. 1, 8, 2022

シンポジウム 1

Space medicine-based health science

宇宙環境を用いた骨格筋重力応答の解析

高橋 智,工藤 崇,林 卓杜

筑波大学 医学医療系 解剖学・発生学研究室,トランスボーダー医学研究センター

Analysis of skeletal muscle gravity response using space environment

Satoru Takahashi, Takashi Kudo, Takuto Hayashi

Department of Anatomy and Embryology and Transborder Medical Research Center, Faculty of Medicine, University of Tsukuba

宇宙の微小重力環境が骨格筋に及ぼす影響は,これまでに宇宙飛行士や,ラットやマウスなど様々な動物種を利用した宇宙実験により解析されてきた。しかしながら,どの程度の重力が骨格筋に影響を与えるかの閾値を科学的に解析することは,適切な実験装置がなかったために技術的に困難であった。この問題を解明するため,宇宙環境において人工重力を発生させることが可能な遠心機付き小動物飼育装置が,国際宇宙ステーションの「きぼう」日本実験棟内に設置された。私たちは,宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同で,本装置を用いて地上と同じ人工1g環境,月面上と同じ1/6g環境でのマウス飼育を行い,重力が骨格筋に与える影響を解析した。これまでに3回の宇宙実験を行い,マウスの約1ヶ月の長期飼育を行ったが,全てのマウスが健康な状態で地球に帰還しており,実験装置の信頼性が確認できた。帰還したマウスを地上で安楽死させた後に各臓器を採取し,骨格筋に対する重力影響を解析した。その結果,宇宙の微小重力環境で誘導される抗重力筋であるヒラメ筋の筋萎縮および筋線維のType IからType IIbへの速筋化は,人工1gでは完全に抑制されることが明らかとなった。この結果は予想されることではあるが,世界で初めて実験として証明することができたものであり,重力影響の閾値を解析するためには,基盤となる非常に重要な結果である。一方,月面上重力である1/6gでは,ヒラメ筋の筋萎縮はほぼ完全に抑制されたが,筋線維の速筋化は抑制されなかった。これらのヒラメ筋の変化の分子機構を解明するために,RNAシークエンスによる遺伝子発現解析を行った。その結果,微小重力で発現が誘導される筋萎縮に関連した遺伝子群の発現が,1/6gでは発現が誘導されていないものが多いことが明らかとなった。一方速筋化に関わる遺伝子群については,微小重力群と1/6gでは発現誘導に大きな差が見られないことが確認された。これらの遺伝子発現解析の結果からも,1/6gではヒラメ筋の筋萎縮は抑制されるが速筋化は抑制されていないことが示唆された。以上の結果は,骨格筋に対する重力影響には閾値があること,筋萎縮と筋線維変化は独立した分子制御を受けていることを示唆していると考えられた。今後,筋萎縮の関わる遺伝子群,速筋化に関わる遺伝子群を同定して,その分子機構の詳細を明らかにする必要がある。