宇宙航空環境医学 Vol. 59, No. 1, 6, 2022

教育講演

高ストレス状態がもたらす健康影響とその対策―南極越冬隊の心理研究から学ぶ

立花 正一

ロイヤルこころの里病院

Mental health problems under high stress environment ― learned from psychological studies on wintering parties in the Antarctic

Shoichi Tachibana

Loyal Kokoronosato Hospital

我が国を含む国際有人宇宙活動は,国際宇宙ステーション(ISS)計画を経て,いよいよ月の有人探査に向かいつつある。ISS計画ではすでに7人の日本人宇宙飛行士の長期滞在を完了し,中には複数回の長期滞在ミッションを成し遂げたり,コマンダー(船長)としてチームを束ねる重責を果たした者もいる。我が国も宇宙飛行士の活躍を下支えする健康管理活動を通じて,宇宙医学・心理学の多くの知見や技術を積み重ねることができた。ISS計画によって,少なくとも地球の軌道上では健康を損ねることなく,半年程度の長期活動を実施できることが証明された。
 しかし,月の有人探査となると,飛行士の健康管理支援のハードルはかなり高くなることが予想される。特に,宇宙放射線被ばく,隔離閉鎖環境での生活や任務に伴う精神・心理的ストレス,けがや病気を発症した際の医療対処手段や資源の乏しさは,大きな課題となるだろう。不測の事態が起こった際には,地球軌道上では地上からの支援が受けやすく,地球への緊急帰還も短時間で可能なのに比して,月面や月軌道上では,地球からの支援はより困難となり,派遣隊の自立性が問われることになる。
 今回は,特に精神心理的課題に絞って論じたいが,地球からの隔絶感・孤立感が増し,活動における自立性・自律性が求められ,チームとしての団結力・リーダーシップの質の高さ,個々の隊員の情緒安定性・士気の維持・自己管理能力も問われるだろう。このような未知の課題に挑戦する際に,我々が参考とすべき有力な知見は,南極大陸における越冬隊の長年の経験であり研究となる。アメリカ隊を中心とした心理学研究や体験に関する文献をレビューしたので,その一部を紹介したい。南極越冬活動の初期には,過酷な環境(寒冷,日照不足,隔離閉鎖,単調性など)による不眠,抑うつ,幻覚,意識の変容,行動異常などの報告がなされている。国際地球観測年(1957-58)を契機に始まる中期においては,体系的な心理学的研究が行われ,住環境の改善や隊員の事前スクリーニングもなされた結果,Polar Madnessと呼ばれた極端な精神症状や意識の変容は減少し,隊員選抜の評価要素なども確立した。南極越冬隊員に見られた心理的特徴(季節変動性,独特のコーピング手法,集団葛藤の傾向など)も明らかになり,越冬症候群,第3四半期現象,ステージ理論などが提唱された。また越冬に参加することは,人によってはプラス(健康増進効果Salutogenic effect)に働くことも解ってきた。南極研究から示唆される月派遣隊クルーの心理適性については,精神的安定性,対人関係の安定性,自己充足性,チャンレンジ精神,リスクを取れる性格,任務への強い情熱と関心などがキーワードとして挙げられる。もちろん極端な自己充足傾向やリスクテイキング傾向などは避けるべきで,選抜に際しては個人及びチームのバランスが必要になる。心理的サポート手段としては,近年の目覚ましい技術発展を基に,ロボットやヴァーチャルリアリティの活用なども示唆される。