宇宙航空環境医学 Vol. 58, No. 2, 103-109, 2021
学会報告
flight surgeonと航空医学は航空の安全を改善したか
髙添 一典
航空医学研究センター
Have Flight Surgeons and Aviation Medicine Improved Flight Safety?
Kazunori Takazoe
Japan Aeromedical Research Center
著者は航空身体検査指定医として勤務しているが，日常行なっている自分の業務が，航空の安全に寄与している，ということを実感することはできない。安全は大前提であり，比較対照できるデータが目の前にはないため，それは当然なのかもしれない。第88回米国航空宇宙医学会（Aerospace Medical Association, AsMA）年次総会（2017年4月30日-5月4日開催）に参加した際，3日目の5月2日に，その回答の一端を示してくれた講演があった。第4回Eugen Reinartz記念講演として，米国連邦航空局（FAA）のFederal Air SurgeonであるDr. Michael Berryが表記の題名で講演したものがそれである。米国での，航空業界そして航空医学の始まりから現在までの流れ，その中で身体検査基準がどのような状況から設定されてきたのか，といった歴史，そしてそれらを基に，表題「flight surgeonと航空医学は航空の安全を改善したか」について考える，というのが講演内容であった。いろいろな情報が盛り込まれて興味深く，その概要をDr. Berryの許可を得て報告する。以下，演者Dr. Berryの人称で記載する。
今回講演を依頼され， なにかFAAのことを話してほしい，何を話してもいい，と言われました。そこで今までの経験で自分が知っていること，考えていることを話そうと思い，それに際してまず本記念講演に冠されるEugen Reinartzという人物のことを調べることにしました。そしてReinartzのことを詳しく知り，自分のdeputy air surgeon, federal air surgeonとしての経歴も考慮して，講演内容を決めました。
パイロットに対してなぜ特別な航空身体検査をしなければならないのか，なぜ特別な医師がいないといけないのか，航空事故が減少してきている中でflight surgeonはもはや不要なのではないかという声さえもある中で，なぜ必要なのかについて考えてみたいと思います。考えるにあたって，航空医学についてFAAにおける1900年ごろ（気球やグライダーの時代）からの歴史の旅に皆さんをお連れしましょう。いろいろスライドを出しますが細かい数字は見えないので傾向だけをみていただければ結構です。
Eugen Reinartzは，精神科医そしてFlight surgeonであり，Aero Medical Association（AsMAの前身）のPresidentの経歴を持ち，航空医学のパイオニアの一人です。ドイツからの移民の両親のもと，オハイオ州で1889年に生まれました。1916年Medico-Chirurgical college of PhiladelphiaをDoctor of medicineとして卒業し，1917年陸軍医学部隊でfirst lieutenantとしての将校任命辞令を受け，1919年オハイオ州にあるウィルバーライト飛行場に配置されました。ここで航空医学への興味が一気に芽生え，その後ロングアイランドにあるミッチェル飛行場で訓練を受け1920年flight surgeonとなり，1930年にAero Medical Associationに参加しています。1931年にはランドルフ飛行場にある航空医学学校精神科部門のDirectorに任命されました。1年後にはさらに心理学部門の責任者としても任命されました。1941年同校のcommandant に任命されました。その後准将に昇進して5年間任務をまっとうし，またAero Medical Associationの特別会員となり，そしてまもなく第15代Presidentとなっています。1946年に行なわれたPresidentを退官する際の記念講演で，「我々は新しい世界の入り口にいる。将来の航空医学の可能性をだれも予測できない」と述べ，医学と航空の連携の重要性を説いています。以下に彼の言葉を続けます。「航空は医療者なしには進歩しない。絶対的に必要であり，わたしが繰り返し述べてきたように，航空と医学は密接につながっており決して切り離すことはできない （空の医師たちDoctors in the Sky, Reinartz, 1955）。」
さて，どこから旅を始めましょう。航空界は気球やグライダーの時代から始まりました。空においては，高度，低酸素，低気温といった特殊環境における対応が必要であり，医学はそれに対する回答を出してきました。それが航空医学であり，航空医学がなければ，生じた多くの問題はもっと悪い結果になっていたでしょうし，航空の進歩は遅かったでしょう。
ライト兄弟が1903年に初飛行をしたのち，世界大戦の不穏な空気がひたひたとせまり，ほどなく世界は第一次世界大戦に入っていきますが，世界各国は事故を予防するためには航空機の機能と共に医学的側面が重要であることに気づき始めました。航空の中に医学が取り入れられるようになったわけです。
大戦に入る少し前の1912年に書かれた興味深い2つの忘備録が残っています。パイロットになるにあたって，陸軍軍医総監の2月の忘備録には「特別な検査が必要である」，海軍軍医総監の10月の忘備録には「厳密な身体検査が必要である」，と書かれています。後者においては具体的に，内耳の異常を発見するため平衡機能検査を行なう，として以下の3項目が決められています。1. 膝，踵，そして爪先で立つ，2. 前に，後ろに，そして回って歩く，3. 部屋を飛び跳ね回る。最後の「飛び跳ね回る」検査については開眼時のみならず閉眼でも行なわなければならなかったらしいです。私はやりたくないですが，当時は必須だったようです。
flight surgeonという新しい概念・職務を創設した，我々の知っているTheodore C. Lysterの同世代で，彼の友人そして同僚であった米国陸軍大佐Issac H. Jonesが1937年に著した「Flying Vistas:Human Being as Seen Through the Eyes of the Flight Surgeon（飛んでいる景色:flight surgeonの目を通してみた人類）」の中で，「Lysterは全くの新しい‘専門家’を生み出した。それは人類が飛び続ける限り存在する専門家である，この本はその‘flight surgeon’を生み出したDr. Lysterに捧げる」と，記しています。
flight surgeonとは何か? 航空機の中で手術するのか? という質問はflight surgeonなら何度も投げかけられていると思います。私もそうですが，手術をするのではない，パイロットを診るのだ，と答えています。flight surgeonという概念が登場し，定義をしなければならなくなり，Flying Vistasにはflight surgeonの定義が以下のように記載されています。「flight surgeonとは，飛ぶということについて知っている医師である，誰のためでもないパイロットのための医師である，そして，軍隊や民間に関わらずflight surgeonの希望と責務はパイロットを飛ばせ続けることである。」
著者のJonesはこの最後の点が理解されるまでに100年かかると予言しました。 ここにいる皆さんは，パイロットにあなたを飛ばせるためにわれわれはいるのですと，数え切れないほど説明していると思いますが，しかし，その当時からバトル，今でもバトル，です。パイロットとflight surgeonの関係に関しては，それから80年後の我々もまだ苦労しています。多分100年かかってもむずかしいでしょう。
さてもう一人，我々の分野で傑出した人物であるDr. Harry Armstrongは航空医学の手法とflight surgeonが持っていなければならないものを定義しました。彼が著し，1943年に出版された教科書Principles & Practices of Aviation Medicine, 2nd Editionには，以下のように記載されています。「航空医学の方法は，活字や口頭で説明できるものではない。個々に備わるものでありそして獲得するということがほとんど不可能な抽象的なものである。これは人格・個人の資質と緊密に関連している。」「最終的に，flight surgeonは責任を持つべき人々に対して，必要な時に指導や忠告を求める人を自然に振り向かせる，人に対する深い理解を持っていなければならない。」我々はこういったものをもっていると思います。もし持っていないとすればそこに到達するように努力すべきです。
さらに前述のReinartzは1943年に書いた記事「How the Flying Fighters’ Doctor is madeいかにして戦闘機乗りのための医師が生み出されたか」の中で，以下のように述べています。「良いflight surgeonは，心理病理学的側面に造詣が深くまた傑出した医師，神父そして法律家であることを兼ね備えていなければならない。」
米国が第一次世界大戦に入った時点で，LysterとJonesは他の国の経験を学ぼう，との目的で，英国の第一次世界大戦開始1年後のデータを調査しています。兵士の死亡者の内訳は，2%が敵との戦い （皆さんはもっと高い数値と思われたでしょう），8%が航空機の故障，となっているのですが，90%がパイロットの医学的問題 （60%は身体の何らかの異常）が原因であり，なんと9割が医学的要因による死亡であった，という結果でした。この事実から英国は医学基準を設定し，その結果医学的要因による事故は，設定前の90%から設定後1年目には20%に，2年目には12%に減少しました。我々が現在行なっていることに意味があるのかがわからなくなったときにはここに立ち返ってみればいいと思います。医学基準による安全性の担保というのは，現代においては数字としてこのように劇的に認められるものではないでしょうが，基本的にはかわりはないはずです。
第一次世界大戦中における航空医学の意義は，以下のように要約されます。
1. 航空身体検査を基準化したこと
2. それにより健全なパイロットが提供されたこと
3. 医学基準に例外は認められなかったこと（著者注:つまりWaiverなしと思われる）
4. 以上の結果，パイロットの医学的問題による事故が減少したこと
興味深いことにこの頃のパイロットは歩兵隊からはじかれた人々でした。戦場での疲労が過ぎたり負傷したりなどで，歩兵隊に留まることができなくなると，パイロットにしよう，といった流れがありました。しかしながら基準が設定されたことにより，そういったことが起こらなくなりました。
さて第一次世界大戦後，すなわち初期の民間航空医学はどういうものだったでしょうか。
戦後，民間輸送の必要性が出てきました。1926年には航空商業法Air Commerce Actが制定され，これにより 商務省内航空部門Aeronautics Branch within the Commerce Departmentが設立されました。陸軍航空医学学校Army School of Aviation MedicineのCommandantであり航空医学の初の教科書である‘Aviation Medicine’の著者であるLouis H. Bauerは同部門の最初のMedical Directorとなりました。そこで彼は2つの仕事を行なっています。一つ目はそれまでなかった民間の医学基準をあらたに設定したことです。彼は軍隊出身であり，軍の基準を持ってきて民間の医学基準としました。二つ目は指定医制度の確立でした。彼がそれまで行なってきたことは軍のflight surgeonを訓練することでした。彼は陸軍や海軍を退職した軍のflight surgeonの協力を得て，1927年航空身体検査指定医（AME）として57人を初回認定しました。指定医数は1930年には800人になり，その頃には月2,000件の航空身体検査が行なわれるようになっていました。
1930年，Bauerと彼の助手Cooperとの共同研究によりgeneral aviationの訓練生のデータが発表されています。それによると16%に身体に何らかの異常があり，84%は健康体でした。身体に何らかの異常のある訓練生は，ない訓練生に比べて40%多く事故にあいやすく，全ての事故の22%は身体的異常のある訓練生でした。また身体的異常のある訓練生による事故では死亡する確率が67%高いことも示されました。彼らは航空機パイロットにおいても検討しており，身体的異常に関する数字はgeneral aviationのそれよりは多少小さいものの，類似の結果であったとのことです。
1930年台の航空身体検査において使用された記載用紙の例を見てみます。4ページにわたり，例えば動揺病や平衡機能などを含め，現在よりも病歴や身体所見を詳細に記入するようになっていました（現在は1ページずつ）。そして医師の裁量はほとんどありませんでした。
1938年に新たに航空法が発効され，それに基づいて民間航空当局Civil Aeronautics Authority（CAA）が作られ，航空医学部門Bureau of Aeronautics with the Medical Sectionが設立されました。CAAはその後Civil Aeronautics Agency➡Civil Aeronautics Administration➡FAAと変遷していきますが，現在と同様，当時も非常に官僚的で航空医学部門はこれと直面しなければなりませんでした。CAA内で作られた医学部門とともに，同時にCAAには航空医学には素人の5人の“political appointees”と呼ばれる人々からなるBoardがあり，不幸なことにそのCAA Boardは医学部門のDirectorを上回る絶対的な権限を持っていました。すなわち最終的な不適合判定を下したり逆に例外を与えたりするのはそのBoardであり，航空医学部門のDirectorによる不適合判定を覆す，といった最終的な決定権を持っていました。医学政策が進むべき方向を政治が支配し，航空医学部門は自律機能を果たせなかったわけです。政治の影響が強い時代で，現在我々が直面している，general aviationにおける医学基準と政策への政治的影響と全く同じことが1945年に起きていたということで，そのころの状況についてお話ししたいと思います。
1927-1958年の民間航空機事故のpreliminary dataを示します。百万マイルあたりでみた事故率は1927年と比較して1930年にはすでに激減し，1940年頃ほとんど0になりしかしスケールをかえて拡大すると完全に平坦ではなく，それでも少しずつ下向きの傾向をたどっていることがわかります。ただし，1927-1958年の航空機事故データの実数でみてみると，航空機が大型になり死亡人数は少し増加しています。これは一件の事故で多数が死亡することに起因しています。
さてgeneral aviationにおいてはどうでしょうか。1938-2010年の間の全事故例の実数（率ではない）は1940-1950年がピーク，その後それより低いもう一つ小さなピークがあり，その後下がってきています。この間の1945年にCAA内の例のBoardが，AMEが身体検査を行なっていることがgeneral aviationの発展を妨げていると結論付ける，といったことが起きました（現在もある議論で，我々は渦中にいます）。その結果，family doctorが3年間ほど身体検査を行なうこととなったのです。なぜ3年しか続かなかったのか詳しい理由ははっきりしませんが，発見した資料によるとfamily doctorが行なっていくのは実際簡単ではなく，またAMEが行なう制度にもどった，といった流れであったようです。1938年から2010年までの全事故率は100,000飛行時間当たり徐々に下がっていますが，致死的事故数でみるとやはり1940年から1950年の間に大きな変なピークがあります。そして100,000飛行時間当たりの致死的事故率でも1940年から1950年の間に同様の山が認められます。これに関する説明は今まで見たことがなく，よってここにおられる皆さんにその判断を委ねたいと思います。いずれにしても過去の誤りから学ぶことを忘れてはならないということです。
さて，第二次世界大戦においては，高高度における操縦，高高度における脱出，G-tolerance，酸素マスクの使用等に関して発展した，軍隊における航空医学が軍事パイロットの安全に貢献しました。すなわち外傷を減らし，医学的原因による航空機事故を減少させたわけです。
次に視点を変えて1950年代の宇宙医学について見てみましょう。1959年4月，軍隊のテストパイロットが厳正な身体検査を受けて最初の7人の宇宙飛行士が選抜されました。医学基準はありましたが，文書にすると何故合格しなかったのかと人々がいろいろ異議を申し立てしたりするため文書化されてはいませんでした。低酸素室試験altitude chamber test，遠心装置でのGに対する耐性検査multiple centrifuge runなど，それ以後はそこまで行なわれなかった厳格な身体検査を当時は受ける必要がありました。その頃医学的に判断の難しかった事例に対する判定が2件あります。ご紹介しましょう。飛行士に選抜された後centrifuge runで心房細動が出現し，リスクが高いと判断され，メンバーから外されましたが，その10年後最終的に心房細動が消失し復帰することができたDonald K. “Deke” Slayton，そして難聴と耳鳴でメニエール病と診断され，最終的に内リンパシャント術を受けて復帰することができたAllan B. Shepardです。
まずDonald K. “Deke” Slaytonに関してですが，宇宙飛行士に選抜された後の1959年8月centrifuge runで心房細動が出現しました。しかしその後すぐ消失したためその時は仕事に戻りました。ところがその後何度か心房細動が認められ当初は自然に消失していましたが，やがて周期的に出現するようになり，内服が必要となりました。1962年3月には軌道飛行からはずされました。しかしその後，内服を自己中止し，禁煙し，飲酒も最小限に控えたところ，心房細動が消失したことから1970年に申告し1972年2月には再び飛べることになり宇宙飛行士として復帰できました。
似たような状況は Allan B. Shepardにも認められます。彼は1963年6月めまい，嘔気，難聴及び耳鳴でウイルス性迷路炎の診断をうけましたが，7月になりメニエール病の診断を受けました。その後症状は消え，寛解と判断されましたが，飛行士としては復帰できず，1967年には悪化し，吐き気と嘔吐が数か月ごとに出現したため1968年5月内リンパシャント術を受け，その後症状は消失し，1969年1月に前庭機能評価が行なわれ3月の医学審査会で完全復帰可，すなわち宇宙飛行士任務資格ありと判断されました。そして最終的に1971年Apollo 14号船長となっています。（彼は月でゴルフボールを打った，として有名です）
以上2例とも，最終判定までの道のりは容易ではありませんでしたが，航空宇宙医学が安全に寄与した事例です。
エピソードをもう一つ。アポロ9号の発射直前に乗組員3人全員が上気道感染を発症しそうな状態であると判断され，flight surgeonが出発中止を指示し，その2日後に出発させることにより船内での問題発生を回避した，ということもありました。この事例についてはアポロ7号でそれと似た状況が起きていたことが教訓となっていました。アポロ7号の乗組員は3人とも重症の上気道感染を起こしており宇宙空間へ出発するべきではない状況でした。無重力状態では分泌物はうまく排出されず停滞してしまうため，悲惨な状態になります。アポロ7号のcommanderは海軍パイロットの時代に鼻閉を起こし，着陸に際し酸素マスクが血だらけになるといった経験をしていました。そのためそのことがずっと頭の中にあって，彼は「バルサルバができれば大丈夫だ」と判断し，ヘルメットをかぶるとバルサルバができないということから，Flight DirectorであるChris Craftからの「ヘルメットを着用せよ」という命令が出たにもかかわらず，彼らは大気圏再突入に際しヘルメットを着用しませんでした。このことがあってその後彼らは任務からはずされ二度と飛行することはありませんでした。これが教訓となり，アポロ9号の出発を遅らせたわけですが，そのおかげで乗組員3人は発症しませんでした。
この時，当時のAsMAのPresidentが，毎月発行されるPresident’s Pageにアポロ 9号の発射日程の変更に際して下された決定について以下のように記載しています。
「我々は，宇宙航空医学の実臨床を最も素晴らしい方法で示した例を目の当たりにした。我々は，その知恵と勇気に敬意を表する。」（准将John M. Talbot 4/69）
ここで別のものをお見せしましょう（著者注:映画の1シーンが流された。飛行士が血液検査の結果下ろされることとなり，くやしがっているシーンであった）。この映画のように，flight surgeonは安全に対して貢献してきたにもかかわらず，しかしながら貢献した先にいる人々は，その判定に対し，でっちあげだ，やりすぎだ，不必要だ，といった不平をもっていました。
アポロ11号の飛行士Michael Collinsも著書「炎を持ってCarrying the Fire」の中で以下のように述べています。「実際，もし医学の関与がなかったとしても宇宙計画は今と全く同程度になっていた，あるいはもう少し進んでいただろう。なぜなら血圧計のカフ，エルゴメーターあるいは尿量測定器といった医学のガラクタや障害物がなくてすんだからである。」
このようにflight surgeonはいらない，という考えを持つ人がいる一方で，NASA Flight OperationsのDirectorであるDr. Christopher C. Kraftは著書「月へのアポロ探検Apollo Expeditions to the Moon」の中で，こう述べています。「飛行士の健康を評価するflight surgeon達の能力は，これから任務を遂行する飛行士の健康に問題がないという判断とともに任務を成功に導くために絶対に必要であった。flight surgeon達の貢献なしには月に到達できたとは思えない。」この言葉は我々flight surgeonにとってはうれしいものですね。
また，NASA有人宇宙船センターのDirectorであるDr. Robert L. Gilruthは，「この計画全体を通して，その男は私の親しい相談相手であり忠告者であって，彼なしには計画を中止することになっていたかもしれない。これからの年月だけがこの宇宙計画に君がどれだけ貢献したかを君に教えてくれるだろう。」と述べています。NASA のDeputy AdministratorであるDr. George M. Lowは，「宇宙にいく人類に関し最も難しい判断をすることを常に率先して行ない，常に正しい判断を下してきた。君の忠告や判断なしには，また君の技術や専心なしには，アポロは成功しなかっただろう。」と述べています。これが先人たちが築いてきた礎であり，この上に我々は今日，日々を積み重ねているのだというように思います。
さて航空医学と今日の航空の安全について見てみましょう。
まず民間航空機事故について，1980年代半ばから現在までのデータとさらに2025年までの目標とする予測グラフで，皆さんから数字はみえないと思いますがそれは結構です。単位は「機上の1億人あたり」で好ましいことに最近8年くらいは平坦になっています。それ以前9.11などで多少の数の変動はありますが，少しずつ減少しています。2025年までに数値を50%減少させるという目標を設定しており現在すでに下回っており，目標に到達しています。これを維持していくことに期待したいところです。
General Aviationでも，事故件数は同様にさがる傾向にあります。全体でも低下し，致死的事故については1980年台480件であったものが2016年には219件と50%以下に減少していてこれも現在目標に達しています。これが続けば良いと思います。
国家運輸安全委員会（NTSB）による1996年から2008年の期間での乗り物の輸送態様別の死亡者数データを見てみます。高速道路事故，海洋，鉄道，general aviation，航空会社についてのデータです。高速道路事故は圧倒的に多いです。航空会社では同様に9.11による山がありますが2001年以降は増加がなくきれいに平坦です。general aviationについては航空会社より全体に数は多いです。
FAAの航空身体検査証明に関して見てみます。2006年から2016年の間の，我々が判定をしなければならないClass別の申請数は，Class IIやIIIと比較しClass Iにおいて少しずつ増加している傾向がみられます。同様の期間，Special Issuanceの発行数は，Class Iで同様に増加しています。基準は満たしていなくても条件を付けることによりリスクを減弱させることができる事例があります。
一方で我々は航空宇宙医学の専門家として問題のあるパイロットには免許を出さない，そういうパイロットを飛ばさない，という判断をして医学的原因による民間航空機事故を減らしてきました。
2006年から2016年までの申請の内，明らかな不適合と判断された事例の推移と内訳を見てみます。不適合と判断される場合においても，パイロットがあきらめずそしてわれわれに働きかけ，情報を提供してくれればその限りではなく，明らかな不適合と判断された事例全体から見るとごく一部ですが，適合を得られる事例もあるのです。実際我々は多くのパイロットに航空身体検査証明を出しています。現在，パイロットの97%は身体検査証明をもって航空身体検査指定医のクリニックを出ることができる，すなわち問題なく職務を継続することができます。難しいケースは3-4%です。そういったケースでも我々はできる限り何とかしたい，と思っています。2006年から2016年の間で明らかな不適合となった医学的理由で頻度の高い5項目には，1. 不適合医薬品の使用，2. 冠動脈疾患，3. 精神科疾患，4. アルコール問題（依存と乱用），5. インスリン以外の糖尿病治療薬使用，があります。
2014年にNTSBは，パイロットの機能低下に関するリスク評価として医薬品の使用傾向に関する研究を行なっています。NTSBデータベースとFAA toxicologyデータベースから，パイロットの死亡につながった事故について6,597件が検討されました。1990年から2012年までの国内線でのパイロットの死亡事故においては，96%がGeneral Aviationであり，commercial（Part 135）は約4%でした（ちなみにPart 121は<1%）。同期間中，パイロットに医薬品の検査を行なったところその陽性例の推移は1種類使用していた事例，2種類使用していた事例及び3種類使用していた事例の3本のカーブいずれもこの13年の期間で年を追うごとに増加していることがわかりました。皆さんはそうは思いたくないでしょうが現実には増えているようです。気になるのはそれらがどういう医薬品かということですが，操縦機能を低下させる可能性のある薬Potentially impairing drugs，操縦機能を低下させる可能性のある疾患を示唆する薬Drugs indicating potentially impairing conditions，規制薬物Controlled substancesでありまして，1990年から1997年まで及び2008年から2012年までの2つの期間で，それぞれ，10%から25%くらいまで，5%くらいから10%を超えるまで，数%から8%くらいまで，に増加しています。次に1990年から2012年におけるパイロットの薬物検査陽性率を調べたグラフを示します。右側はgeneral aviation，左側はcommercial aviation（Part 121 and 135），ですが，それぞれの医薬品の使用率をみると上記3種類ともgeneral aviationでの使用頻度が高く，注目すべきは違法薬物Ilicit drugで，それぞれ数%で高くはないのですがgeneral aviationとcommercial aviationのいずれにも認められた点です。
ここでHIMSについてふれます。Human Intervention Motivation Studyの略で，アルコール依存者の更生プログラムです。1974年開始され，これまでに5,800人がプログラムを終了し，85%の成功率を誇っています。依存者を見つけ出し（これが重要です），治療を行ない，さらに長期のモニタリングを行なう，という流れです。本プログラムへはどのような経緯で参加してくるのでしょうか。注目すべきは，自己申告により参加してくる事例が32%と多いことです。自主的に「問題がありまして」と相談してくる人たちです。2番目は飲酒運転を契機に参加してくる28%で，彼らについても対応しています。
2007年から2015年までの軽量スポーツ機事故における医学的所見による致死的事故例計88例の内訳を示します。
23例:NTSBが医学的問題が事故の原因として可能性が高い又は寄与した，と結論付けた，
6例:FAAが医学的問題が安全に対し有意に害を及ぼしたと考えている（NTSBは原因について何も述べていない），
23例:剖検時医学所見は有意又は重篤な病態であった，
36例:薬物検査でアルコール又は薬が同定された，
となっています。
軽量スポーツ機は航空身体検査証明が必要なく，全88例は当然ながら同証明を保持していません。上記は，この8年という期間での実数であって率ではないのですが，無視できない数字と思います。
さて，これから我々米国あるいはFAAはどこに向かうでしょうか。まず無人航空機システム（unmanned aerial （aircraft） systems，UAS）について考えてみます。小型のUASの操縦者は当初14 CFR Part 107に基づいて，飛行体を視認できなければならないことから良好な視力が必要でありClass IIの身体検査証明をもっていなければなりませんでした。しかし，小型のUASにすべての項目が必要であるということはないのではないかという声が上がり，必要項目として良好な視力20/20が確認できればよいということになりClass IIの身体検査基準はなくなりました。では新たに登場してきた大型のUASを扱う操縦者についてはどのように対処していけば良いでしょうか。以下の検討課題があります。
1. 操縦者が行なう作業を評価する
2. 医学的な操縦不能が起こし得るリスクは何か
3. 操縦者に精神科的あるいは心理学的問題がある可能性があったとしたらそのリスクは何か
4. 現状の医学基準を適用することはできるか
これらについて私は回答を持ち合わせていませんが，関係者がすでに考えて始めている課題であると思います。
もう一点は民間の宇宙飛行です。商業的宇宙飛行はもうそこに来ています。何を解決していなければならないでしょうか。
1. 宇宙船を操縦するのがNASAの宇宙飛行士ではない民間パイロットである
2. 医学基準はどうあるべきか
3. 乗客が同じ宇宙飛行に参加する
4. 乗客に対して最低限の医学基準があるべきか
B737に乗って旅行するのとはわけが違いますので，以上の項目は今後間違いなく我々が考えなければならない事柄でありそして尋ねられる質問です。
さて，最初に掲げた「flight surgeonと航空医学は航空の安全を改善したか。」という問いに戻ります。ここまでの歴史の旅をみなさん楽しまれたでしょうか。航空医学そして宇宙医学という新しい専門分野の始まりの時代から出発して，flight surgeonという医師が，いかに第一次世界大戦の時の航空の安全に貢献したか，を見てきました。この時の経験が後年の我が国の民間航空の誕生につながっています。また1940年代の政治がどのように今日と同様に航空医学政策と航空の安全に影響を及ぼしたか，を見てきました。願わくは悪い方向には向かっていないことを望みます。第二次世界大戦中も航空医学は貢献しました。さらにflight surgeonは米国の宇宙計画に必須でした。flight surgeonの貢献は，過去から今日までそしてさらに民間を含む宇宙の将来へも続いていきます。民間航空とgeneral aviation双方において，航空機事故が減少した事実も見てきました。医学的原因によって引き起こされる航空事故の経験から，航空医学とflight surgeonによる精力的な，かつ危険な疾病や症状のあるパイロットは操縦させないという努力の結果，今まで見てきた通り事故の減少傾向につながり，航空の全体としての安全に貢献したということに疑いの余地はないと思います。
Dr. Reinartzの言葉でこの講演を始めたわけですが，最後にもう一度見直してみましょう。「航空は医療者なしには進歩しない。絶対的に必要であり，わたしが繰り返し述べてきたように，航空と医学は密接につながっており決して切り離すことはできない。」という言葉です。
さて，この講演の始めに掲げた問いに対する私の答えは‘YES’です。flight surgeonと航空医学が航空の安全に本当に多大な貢献をしたと私は思っています。そして皆さんも私と同じように考えていると信じています。
Thank you.
以上が，講演の概要である。航空身体検査そして航空身体検査基準が航空の安全に寄与している，ということを歴史的な流れの中で興味深い情報とともにまとめられた内容であった。この一連の流れが間接的にしろ，我が国における第2次世界大戦後の航空法の制定，そして航空身体検査基準の設定につながっていったのだろうと考える次第である。現在講演はAsMAのホームページで聴講可能であり，講演内容のグラフの説明は実際に見た方がわかりやすいかと思われる。興味のある方はアクセスすることをお勧めする。
参考資料
Michael A. Berry Have flight surgeons and aviation medicine improved flight safety? 4th Eugen Reinartz Memorial Lecture（https://www.asma.org/scientific-meetings/asma-annual-scientific-meeting/proceedings） （accessed Jan 26, 2018）
連絡先：〒144-0041 東京都大田区羽田空港1-7-1
第2綜合ビル
髙添 一典
TEL:03-6459-9970
E-mail:takazoe@aeromedical.or.jp