宇宙航空環境医学 Vol. 58, No. 1, 32-33, 2021

一般演題 10

微小重力環境に於ける診断学─起座呼吸について─, その4

吉田 泰行1,中田 瑛浩2,井出 里香3,長谷川 慶華4,山川 博毅5,星野 隆久6

1威風会栗山中央病院耳鼻咽喉科
2威風会栗山中央病院泌尿器科
3東京都立大塚病院耳鼻咽喉科
4はせがわ内科クリニック
5JCHO埼玉メディカルセンター耳鼻咽喉科
6おゆみの中央病院臨床工学科

On the Diagnosis in the Microgravity Environment, ─about Orthopnoe─, Part 4

Yasuyuki Yoshida1, Teruhiro Nakada2, Rika Ide3, Keika Hasegawa4, Hiroki Yamakawa5, Takahisa Hoshino6

1Department of Ear, Nose & Throat, Kuriyama Central Hospital
2Department of Urology, Kuriyama Central Hospital
3Department of Ear, Nose Throat, Ohtuka Metropolitan Hospital
4HASEGAWA Clinic of Internal Medicine
5Department of Ear, Nose & Throat, JCHO Saitama Medical Center
6Department of Clinical Engineering, Oyumino Central Hospital

緒言
 地球上の生物は誕生してから此の方,1 G環境を当然の事として受け入れ体の仕組みを作ってきたので,1 G加速度でない環境では如何にして生命の仕組みが働くか不明の点も有る。とは言え既に人間が宇宙へ行く時代でもあり,生命の仕組みをこの点から探ってみるのも有用であろう。

背景
 我々は高気圧酸素治療の立場から動物の呼吸に関して関心を持ち,両棲類から哺乳類・鳥類迄の脊椎動物の呼吸の進化について文献的に考察し,特に人類を含め哺乳類のピストン型呼吸と鳥類の気嚢式呼吸について,その死腔の有無と呼吸効率の検討をして来た1)。更には同じ哺乳類でも,首の長いキリンと首の短い人類の呼吸(長い気管の死腔)と循環(脳まで血液を巡らせる高い血圧)の違いをも検討して来た2,3,4,5)。 その延長線の上で人類が微小重力環境に晒された時の病態生理について臨床の立場から考察し既に本学会にても発表して来た6,7,8)

起座呼吸の症状
 起座呼吸とは,間質性の肺水腫による臥位で増悪し起座にて軽快する呼吸困難の事を言い,他に湿性咳嗽・時としてピンク色の泡沫状喀痰・頻呼吸を伴う9)。肺水腫が基礎に有る為,肺に作用する引力(重力)の方向の関係で文字通り起座位を取ると軽快するが,全てが心不全等の心原性ではなく, この場合は起座にて症状は軽快しても病態の軽快は意味しない。

起座呼吸の所見
 理学所見としては,聴診上では湿性副雑音(当初は吸気時に捻発音,進行に連れて呼気時にも水泡音)を聴取する10)。一方気道狭窄を伴う喘息等でもこの様な起座呼吸は生じる11)

起座呼吸の検査
 起座呼吸を起こしている時はPa02や血液ガス分析以外の能動的に努力を要する機能検査は,本人にとっては検査どころではないと言える。しかし状態の落ち着いている起座呼吸発作の間歇期には,呼吸機能検査は病態を知り他疾患と鑑別するには重要であろう。特にスパイロメトリー及びフロー・ヴォリュームカーヴは病態の把握に有用であると考えられる。

起座呼吸の病態生理
 通常の人間は臥位の方が起座位・立位より筋肉の働きが少なく楽である。しかし呼吸・循環面に問題が有ると,臥位より起座位の方が呼吸が楽となる事が有る。此れを起座呼吸と言う。此れは肺の自重自壊,即ち肺水腫によりガス交換に参加できなくなった肺の立位と座位の断面積による換気・血流量の多寡(下方の肺は血流も換気も多いが血流の増加の方が大きく結果としてガス交換の寄与が小さくなる)による違いの他12),体位による静脈帰還量の変化としても説明できる13)。先ず呼吸器疾患では喘息等の閉塞性障害の他,拘束性障害も有り得る。一方循環器疾患としては,後負荷としての肺静脈帰還を処理できない左心不全のみならず,合併する右心不全により起座呼吸は起こり得る。

起座呼吸と微小重力環境
 さて此処で,微小重力環境での呼吸を考察すると,微小重力環境とはどの様なものであろうか。微小重力環境は−6度の懸垂頭位と等価である,従って心不全等が基礎に有れば起座呼吸は増悪するのか? 微小重力環境では血液の位置エネルギーは無いので,この影響をどの様に考えるか?
 地上では以下の通りである。左心不全:肺静脈から戻った酸素に富んだ血液を全身へ送り出す為,その不全は肺の浮腫を起こし,起座呼吸に繋がる。右心不全:全身の帰還静脈を肺循環へ送り出す右心系の不全で全身の浮腫を起こす。よって,右心不全でも起座呼吸は起こり得る。

考察
 考察としては,以下の通り;
 ① 微小重力環境でも呼吸困難は起こり得ると考えられるが,重力方向の変化による病状の変化は当然の事ながら無い。即ち地上で言う様な起座呼吸は起こり得ないと考えられる。② 今の所演者の渉猟した範囲では, 微小重力環境に滞在した宇宙飛行士での呼吸困難の報告は無い様である。 ③ 微小重力環境では呼吸困難は1 G重力環境より軽く済むと考えられるが,起こってみなければ判らない点も有る。 ④ 地球周回軌道上,将来的には月面基地,更には火星軌道上・火星面上基地等で呼吸困難を来した場合の対応は,地球からの距離等により各種議論の余地(即帰還するか/即帰還したくても出来るかどうか)が有ると考えられる。

結語
 地上での起座呼吸を基に,宇宙空間の微小重力環境下での呼吸と呼吸困難について考察し,併せてその対処法をも検討した。

利益相反
 筆頭著者及び共同著者共に利益相反は無い。

文献

1) 吉田泰行,中田瑛浩,柳下和慶,井出里香,山川博毅,長谷川慶華,星野隆久,松山茂:スポーツと酸素濃度 その6,哺乳類と鳥類の違い,日本高気圧環境・潜水医学会関東地方会誌,14, 9-13, 2014.
2) 吉田泰行,中田瑛浩,柳下和慶,井出里香,山川博毅,長谷川慶華,星野隆久,松山茂:キリンの首はなぜ長い ─臨床医から見た呼吸と循環の問題点─,体力科学,63, 740, 2014.
3) 吉田泰行,中田瑛浩,柳下和敬,井出里香,長谷川慶華,星野隆久,松山茂:キリンの首は何故長いその2,体力科学,64, 213-214, 2015.
4) 吉田泰行,井出里香,松山茂:キリンの首は何故長い その3,体力科学,64, 374, 2015.
5) 吉田泰行,中田瑛浩,井出里香,長谷川慶華,星野隆久,松山茂:スポーツに於ける呼吸 その4,体力科学,65, 508, 2016.
6) 吉田泰行,中田瑛浩,井出里香,山川博愛,長谷川慶華:微小重力環境に於ける診断学一起座呼吸について─,日本宇宙航空環境医学会誌,53, 126, 2016.
7) 吉田泰行,中田瑛浩,井出里香,山川博愛,長谷川慶華:微小重力環境に於ける診断学 一起座呼吸について─ その2,日本宇宙航空環境医学会誌,55, 8, 2018.
8) 吉田泰行,中田瑛浩,井出里香,山川博愛,長谷川慶華,星野隆久:微小重力環境に於ける診断学, 一起座呼吸について─ その3,日本宇宙航空環境医学会誌,56, 58, 2019.
9) 石原照夫編:呼吸器疾患ビジュアルブック 肺循環障害・心原性肺水腫,株式会社 学研メディカル秀潤社,東京, pp. 334-336, 2012.
10) 絹川真太郎,筒井裕之:慢性心不全・診断へのアプローチ,日本内科学雑誌,101, pp. 338-344, 2012.
11) 松本直人,齋藤弘樹,新野直明,長田久雄,渡辺修一郎:喘息児における休息姿勢の選択傾向,日本呼吸ケア・リハビリテーション学会誌,24, 326-331, 2014.
12) 岩田充永:呼吸の仕組みとはたらき,照林社,東京,pp. 36-37, 2016.
13) 山本雅史:日本臨床衛生検査技師会監修 呼吸機能検査技術教本,じほう(株),東京,pp. 58-80, 2016.