宇宙航空環境医学 Vol. 58, No. 1, 10-12, 2021

特別講演 2

「宇宙に生きる」特別セッション:
「宇宙に生きる」オミックスサブグループの活動報告

村谷 匡史

筑波大学医学医療系 教授

 2015年から始まった新学術領域研究「宇宙に生きる」では,宇宙生命科学実験における遺伝子の網羅的発現解析がマイクロアレイから次世代シークエンシングに移行する時期とも重なり,計画班,公募班の多くの研究でゲノミクス解析が用いられるようになった。本稿では,解析サービスとバイオインフォマティクス支援を中心とした「オミックスサブグループ」の活動を紹介するとともに,今後のオミックス解析の展望について述べる。

生命科学の共通言語としての「遺伝子」と「オントロジー」
 宇宙生命科学は,比較的小規模な研究コミュニティーによって支えられており,特に宇宙実験の機会が限られている一方で,個々の実験のコストは非常に高くやり直しの利かないものが多い分野である。周到に準備して,時々訪れる実験機会を大切にし,データは最後まで取り尽くすような実験や計測に,種々の地上実験を組み合わせる研究スタイルになる。一度解析に使った検体は多くの場合失われることから,最初に取れるデータは全部収集しておくという,網羅的解析の有効性が発揮される場面も多い。また,同じモデル生物を使った宇宙実験と地上実験,さらに異なる生物種で得られた知見を比較することで,それぞれの実験系で捉えやすい現象を,総合的に評価することで,宇宙生命科学の一つの目標である月・火星有人宇宙探査に向けた「ヒトの宇宙生物学」への還元が可能になる。異なる生物種,あるいは異なる実験系の間で結果を比較する場合に必要なのは分子レベルの「共通言語」である。今では一般的な概念となりつつあるが,例えば筋骨系の遺伝子変化をゼブラフィッシュとマウスの系で直接比較できるのは遺伝子の名前の対応,さらには機能分類が「オントロジー」のデータベースでリンクされているためだ。「宇宙に生きる」では,「オミックスサブグループ」を設定することで,データの相互利用や統合解析の概念を改めて共有することができた。

研究における「シェアリングエコノミー」
 オミックス解析の利点は,データ収集の網羅性とインフォマティクスにおける「オントロジー」等を基盤とした拡張性である。しかしながら,その普及にはデータ取得コストの壁があった。ゲノミクス解析の場合,高価な次世代シークエンサーと毎年の保守費用,消耗品の購入は大きな負担である。検体処理にかかる手技を持った人材を継続して雇用するのにも安定した予算が必要になる。こうした状況から,各研究者が独自に解析を行うのは現実的ではなく,受託解析やゲノム解析施設との共同研究を活用することになる。身近に解析を依頼できる環境が無い場合に備え,筑波大学の産学連携プラットフォームを活用して,1検体単位で各種ゲノミクス解析のコスト負担をできる仕組みを整えた。やがてこの解析サービスが動き出すと,解析作業の集積が様々な二次的効果を生み出すことが明らかとなってきた。もともと企業に導入していただいた次世代シークエンサーだったが,当然その購入費用は回収する必要が生じる。幸い,宇宙研究以外にも様々な研究者から寄せられた検体は年間1,500検体程度にも達し,その解析料収入でプラットフォームの自立運営が可能となった。RNA精製とライブラリ作製作業の完全自動化を達成した実験ロボット「まほろ」もユーザーのご紹介を機に共同研究が始まったものだ。これは資金難で大型装置の機器導入と継続に支障をきたしている様々な研究現場の運営にもインパクトを与える前例になるかもしれない。

ウェットラボ研究者のためのバイオインフォマティクス
 インフォマティクス解析には多くの利点がある。まずは,オミックスデータの多くは公開されており,誰でも研究に参加できる点だ。宇宙生命科学では,NASAのGeneLabが様々なデータを整理して公開しており,微生物から植物,マウスを含む動物までさまざまな生物種の宇宙実験や地上実験のデータが入手できる。宇宙実験は,多くの研究者が同様に優先度が高いと考えているデザインであることが多く,その生データと解析結果が公開されるというのは分野全体の研究に役立つのはもちろんのこと,同じ実験を繰り返す必要が無く経済的でもある。また,過去のデータを十分に検討してから独自の実験を行うのも重要だ。地上実験で見えている事象が,宇宙ではどうなのか,またその逆も様々なデータベースから実験結果を拾ってくることで,仮説の検証や研究の目標の再設定を行うことができる。このような問題意識は,実際に手を動かして実験を行っているウェットラボの研究者のほうが気が付きやすく,そのような研究者にインフォマティクスのスキルを学んでもらうことが有効である。したがって,「宇宙に生きる」では,オミックス研究会とバイオインフォマティクス講習会として,コマンドを一切打たずに,エクセルとウェブツールのみで可能な様々な解析手法を試し,班員や学生に体験していただいた。RNAseq解析で要望の多い「パスウェイ解析」と「ヒートマップ作製」が遺伝子リストや定量値をそれぞれウェブツールにコピーペーストするだけで可能なことを多くの参加者にご理解いただけたと思う。やはり重要なのは実験の目的や結果の意味を自分なりに解釈できる視点であるというのは,今後,解析の自動化が進んでも変わらない点だろうと思われる。利用者負担による解析プラットフォームの運営は,資金面での目途が付き,今後も継続できる見通しだ。ウェブツール解析の講習会から始めて,RやPython,機械学習ツールを用いた解析に取り組むユーザーも徐々に現れており,多数の研究グループでオミックス解析のエンジンが点火された手ごたえがある。ここからは,将来の展望について考察してみたい。

国際協力の深化に向けて
 地上で行える重要な実験も多いが,やはり宇宙実験の機会は重要である。現在,宇宙実験といえば国際宇宙ステーション(ISS)1か所である。この先,低軌道を離れた月軌道や月面基地などの実験施設も1個所,利用可能なリソースもさらに限られる。ISSでは,きぼう実験棟と運用予算のおかげで「JAXAプロジェクト」の公募があるが,この先はどうなるのか。先日,アルテミス計画への参加を日本が決定したニュースがあったが,今後は実験ごとにチームが入れ替わるのではなく,天文学,素粒子物理学などと同様に,生命科学分野も限られた実験テーマをシェアする国際共同実験へと移行するかもしれない。また,月・火星への有人探査に向けて,宇宙生命科学・医学分野では宇宙放射線や重力環境変化への対応,さらに長期の滞在に向けた食糧生産や微生物叢の制御など,多くの課題がある。比較的小さい研究者コミュニティーでこれだけ多様な守備範囲をカバーするのは単純に考えても困難が伴うだろう。この両面で,国際共同による研究の推進は避けられない。このような動機から,昨年より筆者はNASA GeneLabのAnalysis Working Groupに参加している。米国は研究のスケールも巨大なのだろうと勝手に想像していたが,オミックス解析のコアメンバーはそれほど多くないことが分かり,しかも同じような問題意識を持っていることが理解できた。かくして,やや恐縮ながら「宇宙に生きる・オミックスサブグループ」を代表して,国際招聘で筑波大に着任したLindsay Rutter先生とともに国際コンソーシアムの設立に参加させていただいた1)2)

オミックス講習会(2019年徳島)の様子

International Standards for Space Omics Processing (ISSOP)
 世界各国が独自に宇宙機関を持ち,予算を付けて宇宙生命科学研究を推進していることはとてもありがたいことだ。貴重な財源を割いて得た知見を,それぞれ独自の研究成果として発表する必要性についても納得できる。また,生命科学研究はPI単位の個別研究が主流であるから,実験ごとにテーマを公募して,その都度研究チームが入れ替わるのも自然な流れだろう。このような研究システムを急激に変更することなく,研究者レベルで国際共同体制を作ってしまおう,というのがISSOPのカギだと筆者は考えている。つまり,実験条件やデータ取得と解析のプロトコル,さらに得られた知見の相互融通を可能にするプラットフォームを統一することで,個別に行った実験結果を後から統合することができる。そもそも,膨大な数の科学研究・論文というのは,もともと計画されて行われたわけではなく,各研究者が思い思いの考えで進め,報告しているわけで,後から多くの論文を読み比べることでストーリーや意味づけが浮かび上がってくるものだ。必要な研究開発をロードマップに従って素早く進めるリーダーシップと各研究者が自由に行うテーマはある程度並行して進められるべきだろう。ただ,AIが論文を読み,ロボットが実験を再現する時代は既に到来しており,そんなことならば可能な範囲で初めからロボットが実験し,AIが読みやすい形式で論文を発表したほうが良い。論文のプレプリント公表や論文の評価や査読システムの変化で,研究者の評価方法も変わりつつあり,おそらく今後数年で得られた成果を土台に研究自体の統合へとコンセンサスを築いていけるだろう。
 筆者はマウス実験以外のことはよく知らないのだが,特にサンプルシェアの取り組みとゲノミクス検体処理の自動化はJAXAプロジェクトが国際的にリードできる部分だ。サンプリングと実験手技のデジタル化は,ISSおよび月軌道等でのクルータイムの節約や遠隔・無人実験操作システム構築への先駆けとなる取り組みである。新型コロナの流行を機に,世の中のデジタル化,科学分野でも実験の自動化・遠隔化の動きが活発であり,多くの企業や工学・情報系の研究が対応策や製品を提案する中,分野を超えた協力を通して宇宙生命科学分野でも研究インフラの再整備や,これまでとは異なる成果の発信方法を試みるべきだろう。2016年に開始した筑波大学のゲノミクス解析は,マウスの宇宙フライト実験を中心に,これまで宇宙研究に参加した研究室の多くによって引き続き利用いただいており,その数は2,000検体分を超える。他分野の研究者からの依頼も含めると6,000検体分以上の多種多様な実験サンプルを統一されたプロトコルで行っている施設は宇宙関連分野では稀で,そのノウハウも活用して,オミックス解析の国際基準作りに貢献したいと考えている。

おわりに
 2014年に帰国した筆者にとって,JAXAのマウスフライト実験(PI:高橋智先生・筑波大学)への参加は研究室を立ち上げて初めての研究であり,その耳石器官の解析に関連して森田啓之先生(岐阜大学・東海学院大学)の計画研究で「宇宙に生きる」に参加する機会を頂けたことで,さらに多くの方々と知り合うことができた。この場をお借りして関係者の皆様に深く感謝申し上げたい。

文献

1) A new era for space life science:International Standards for Space Omics Processing (ISSOP). Rutter et al. Patterns. In-press.
2) Fundamental biological features of spaceflight:advancing the field to enable deep space exploration. Afshinnekoo et al. Cell. In-press.