宇宙航空環境医学 Vol. 58, No. 1, 6-9, 2021

特別講演 1

月資源開発から始まる人類の宇宙フロンティア進出

加地 正伸

大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻 惑星物質学グループ 准教授

 最近,月に関するニュースが多くなったと思いませんか。私は月周回衛星「かぐや」の開発チームに惑星地質学者として参加した1996年以降,25年近く様々な日本の月探査の立案や実行にかかわって来ましたが,ここ数年はそれまでとは全く異なる新しい宇宙時代への大きな潮流の始まりを感じています。大航海時代と産業革命が一度に起こるような大きな潮流となる予感さえしています。
 現在の月探査の状況を紹介しましょう。近年もっとも熱心に月探査・開発を行っているのは中国です。2007年に日本の 「かぐや」から一か月ほど遅れて打ち上げられた月周回衛星嫦娥(じょうが)1号は,技術的にも科学データの活用という意味でも「かぐや」に遠く及ばない存在でした。しかし,中国は2010年に月周回衛星嫦娥2号を成功させ,2013年に打ち上げた嫦娥3号では,旧ソ連,アメリカに次いで世界で3番目に月面軟着陸に成功した国となりました。また,そのとき運用した無人探査車は972日間という世界最長の月面稼働時間記録を打ち立てました。さらに,2018年に打ち上げられた嫦娥4号は,世界で初めて月の裏側の着陸に成功しました。月は地球に常に同じ面を向けて回っているので,地球からの電波は月の裏側には届きません。そのため,月の裏側上空にあらかじめ電波を中継する通信衛星を打ち上げてから実施するという念の入りようです。今年中には月からの岩石試料を持ち帰るという嫦娥5号を打ち上げる予定です。中国は,奇数号と偶数号というセットで同じ基本設計の探査機を開発し,奇数号での経験を偶数号の改良に活かすという極めて合理的かつ効率的な開発方法で,急速に技術力を上げました。嫦娥6号も控えています。
 他の国も月をめざしています。イスラエルの探査機べレシートは,2019年4月に世界で4番目の月面軟着陸を目指しましたが,月上空までは無事に達したものの,着陸には失敗しました。しかしべレシートは民間の月探査機が月上空に達した初めての探査という点を特筆すべきでしょう。「かぐや」の1年おくれで月周回衛星チャンドラヤーン1号を打ち上げたインドも,4番目の月軟着陸をめざして,2019年に月着陸探査機チャンドラヤーン2号を打ち上げました。しかし,こちらも着陸には失敗してしまいました。日本も2022年度に月着陸実証機SLIMを打ち上げる予定です。また2023年ごろにインドと協力して月極域探査機LUPEXの打ち上げをめざしています。ちなみに著者はこれら二つの日本の探査機に搭載される科学観測用のカメラの開発リーダーをしています。日本の探査機としては,SLIMに先駆けてOMOTENASHIという超小型探査機がNASAの有人宇宙船オライオンの無人試験に同乗して月着陸を果たすべく準備を進めています。また,日本の民間企業であるi-space社も2022年と2023年に月着陸をめざしています。そして忘れてはならないのがアポロ計画を成功させたアメリカです。オバマ政権の時には月探査には消極的でしたが,トランプ政権下では2024年に有人探査を再開しようというアルテミス計画や,月周回の国際宇宙ステーションをつくる計画を始動しています。
 アポロ計画が1972年に終了してからすでに50年近く経過した今,なぜ月探査ブームが始まったのでしょうか。私は,3つの事情があると考えています。一つは科学技術の発達です。かつてはアメリカとソ連という超大国2国の国家の威信をかけた競争によって莫大な予算と人員をかけて月探査がおこなわれていました。しかし,電子部品や各種素材の技術革新,コンピューターの発達によって,ロケットや探査機の開発コストは激減し,今や,民間企業でもロケットや探査機が開発できるようになりました。
 二つ目は中国の躍進です。中国は国家の威信を国内外に示すために宇宙開発に熱心に取り組んでいます。中国の宇宙開発というと,とかく軍事的な側面ばかりが注目されていますが,事情はもっと複雑です。今の世界は米ソ冷戦の時代とは異なり,経済活動は陣営を越えて世界に広がっています。世界に高速鉄道や携帯電話網を売り込むといった経済戦争のためにも,自国の科学技術力を示すことには大きな意味があるでしょう。中国が月有人探査を実現すれば,アメリカが宇宙技術分野のトップを名乗る根拠が大きく揺らぎます。ですから,アメリカが有人探査を再開することは当然の結果と言えるでしょう。
 三つ目は国際宇宙ステーションの代替わりです。国際宇宙ステーションは2024年に終了する予定です。国際宇宙ステーションは宇宙利用技術の開発や有人宇宙技術の継承,そして国際外交のチャンネルとして重要な役割を果たしてきました。しかし,スペースシャトルの二度の全損事故に対応するために運用コストが増加したことや,脱出機X-38の開発中止に伴う滞在人数の削減などにより,ステーションを長期間運用することは徐々に難しくなってきました。そんな中,中国が着々と宇宙ステーションを建設し,自国の月探査機に他国の観測機器を載せたり,月裏側上空の通信衛星の利用に他国をさそったりするなど,新たな宇宙国際秩序の構築に熱心になってきています。そのため,欧米を中心とする新たな宇宙国際秩序の中核となり,有人宇宙開発にかかわる多数の優秀な人員の技術を継承する舞台として,あらたな国際協力宇宙施設が必要なのです。次なる施設としてちょうどよい規模のものが月周回宇宙ステーションの開発だったと言えるでしょう。
 このように様々な事情がからみあって月開発への追い風が吹いていますが,さらに関係者を勢いづかせているものがあります。それが,「月の水」です。もう少し正確に言うと,水が低温で固まった氷です。太陽から遠く離れた木星や土星の衛星では,メタンやエタノールも凍って氷になるので,これらと区別するために,水が凍った氷を惑星科学者は水氷(みずごおり)と呼んでいます。
 アポロ計画の探査で月には過去から現在にいたるまで水滴以上のまとまった水が地表に存在したことはないと考えられています。もし水があれば,岩石の材料の中に,OH基を持つ鉱物,例えば,地球でよくみられる雲母や角閃石などの鉱物がみられるはずですが,月面を構成する岩石にはOH基を含む鉱物が見当たりません。しかし,90年代の月周回衛星のデータから,月の極地域には大量の水氷があるのではないかと言われるようになってきました。
 水の起源は複数考えられています。かつて月面に落下した彗星や隕石に含まれていた水分,太陽風として月面に到達した水素原子が月の岩石中の酸素と結びついてできた水,過去の火山活動や地下からの火山ガスとして供給された水,地球大気から宇宙へ散逸した水などです。一方,月は太陽に対して地軸が1.5度しか傾いていないため,極域では常に太陽高度が低い状態となっており,極域のクレータの底は年中太陽光が直接当たることのない,永久影となっています。この永久影は,マイナス190°C以下の極低温となっているため,どこからか月面に到達して月面を漂っている水分子がたまたまこの領域に入ると凍結して蓄積されます。こうして水氷が極域にたまっていると考えるわけです。
 水があると人間の飲み水や宇宙農業用の水として使えますし,太陽電池で作った電力で電気分解して水素と酸素にすれば呼吸のための酸素としても使えます。しかし,もっとも注目されているのは,この水素と酸素をロケットの燃料と酸化剤(以後まとめて燃料と呼びます)に使おうという利用法です。ロケットの質量のほとんどは燃料ですが,地球と月を往復するためには,帰りの燃料と,さらに帰りの燃料を打ち上げるための燃料も搭載しなくてはなりません。それを地球の強い重力と大気の空気抵抗に逆らって打ち上げるのですから,非効率です。月面で燃料が生産できれば,帰りの燃料を打ち上げる必要はなくなります。JAXAの試算では,月で燃料を調達するようにすれば,燃料採掘生成設備の建設運用コストを入れても,5回程度の往復で元がとれるようです。さらに,火星への旅のコストも引き下げることができます。
 なお,大量の水氷の存在はまだ確定された事実ではありません。リモートセンシングデータでは存在量について確定的なデータを出すことは難しいのです。90年代からごく最近までは,水氷が大量にある派とない派が科学者の中でも拮抗していました。しかし,上記の様々な事情により,月開発を推進したい理由が増えた時,月の水の存在を裏付けたいというニーズが高まり,最近になって関連する研究が一気に増えました。過去の探査データを解析しなおしたり,新たなアイデアで地球から観測したりなどして,最近では,水が全くないと思われていた永久影以外の月の全域で,実は微量の水分子が存在しているらしい証拠が続々と出てきました。そして先に紹介した日本とインドとの共同探査をはじめ,アメリカ,中国,ヨーロッパ,ロシアの各国が氷採掘のための着陸探査の準備をはじめています。太陽系の天体の水の起源や移動の研究は今や生命の起源とも関係する惑星科学の大きなトレンドテーマとなっていますが,社会のニーズによって強力に支えられていることも科学者は認識しておく必要があると思います。
 月の氷資源採掘は,人類が初めて宇宙資源を活用する活動となりますが,水氷を手始めに,今後宇宙資源の開発は加速していくことでしょう。講演会等で,宇宙で資源を採掘するという話をすると「月で金でも採れるのですか」と聞かれます。宇宙資源を考えるときには,地球の常識と全く異なる考え方をしなければなりません。なぜなら,現在の技術で月に1 kgの物を運ぶのに約1億円のコストがかかるからです。最近,金の相場が上がって1 gあたり7,000円ほどになっていますが,それでも1 kg 700万円です。700万円の金を月から持ち帰るのに1億円もかかっていては全く採算が取れません。アポロ計画の時は,月で人間が生きるための全ての物資は地球から持っていきましたが,もし月で調達できるものがあれば,1 kgあたり1億円の価値があるということになります。月でロケット燃料が調達できるメリットもあらためて実感できるかと思います。
 他の資源を挙げると,例えば人間の呼吸に必要な酸素は,岩石からとることができます。岩石は元素で言うと酸素,ケイ素,鉄,アルミニウム,マグネシウム,カルシウムなどでできています。体積で言えば岩石の大半は酸素原子です。地球では大気の五分の一が酸素なので,わざわざ岩石から酸素を取り出そうなどと考える人はいませんが,「岩石から1 kgの酸素を取り出したら5千万円で買おう」と言われたら,製造する気になるのではないでしょうか。つまり,宇宙で言う資源とは,地球に持ち帰るための資源ではなく,現地で使うための資源ということになります。1 kg 1億円よりも安いコストで作ることができれば,現在の月世界では十分に採掘する価値のある資源なのです。
 先に挙げた岩石の構成原子である,鉄,アルミニウム,マグネシウムなどは,金属材料として有効ですし,ケイ素を抽出して太陽電池パネルを月面でつくるということも将来は可能になるでしょう。基地をつくる建材も現地で調達したいところです。月の表面はレゴリスと呼ばれる岩石が粉々に砕けた砂で覆われていますが,太陽光を鏡で集光する太陽炉や,太陽電池で発電した電力で発熱する電気炉などで加熱して焼き固めることで煉瓦をつくることができます。これが月基地をつくる素材となることでしょう。
 月に長期滞在するためには,食べ物も現地で生産する必要がありますが,そのための資源はあるでしょうか。動植物の原材料の元素は,酸素,炭素,水素,窒素,カルシウム,リンなどです。微量ですむものは地球から持っていけばよいですが,大量に必要でかつ月面にほとんど存在しないのは,炭素と窒素です。火星だと農業は随分楽になります。火星の大気は95パーセントが二酸化炭素で窒素も3%あるからです。しかし,月はジャイアントインパクト(原始地球に火星サイズの天体が衝突して月が飛び出したとする月誕生イベント)による加熱や,表面がマグマで覆われていた時代の蒸発によって,炭素や窒素は宇宙に飛んで行ってしまったと考えられています。炭素については隕石に含まれているので,月面に落ちた隕石の破片から回収できるかもしれません。しかし,窒素は隕石に含まれる量が少ないので地球から持ち込むのが良いでしょう。
 月での資源を効率的に活用するために,月でのたんぱく源は昆虫食になるのではないかと思います。国連食糧農業機関の資料によれば,牛肉1キログラムを生産するのに飼料が8キログラム必要なのに対し,昆虫だと2キログラムの飼料で良いということです。また,昆虫の飼育には水や場所という資源をあまり必要としないことも大きなメリットとなるでしょう。ただ,たんぱく源は昆虫食で解決と単純に割り切れるものでもありません。それは食物アレルギーの問題があるからです。月の長期滞在中や火星移住の後で後発的に昆虫アレルギーを発症したら危機的な状況となってしまいます。近年,動物の細胞を直接培養してつくる培養肉の研究も進んでいるということですが,食材の多様性を短期間で得る方法は研究を進める必要があるでしょう。
 エネルギーに関しては,太陽エネルギーが基本となります。ロケット燃料を月面で調達する話をしましたが,エネルギー源は水を水素と酸素を分けるときに使った,太陽電池で発電された電気です。ただしロケット燃料はエネルギーだけでなく,ロケットを反作用で押し出すために質量のある物質を噴射せねばならないので,エネルギーを燃料という形に加工する必要があるのです。蓄積のし易さという意味でも燃料化するメリットがあります。
 一方で放射性物質を月で採掘する試みも必要であると個人的には考えています。放射性物質で発電する原子力電池は何十年にもわたって発電ができるので,月の2週間にもなる夜の間,各種装置が壊れないようにするために保温するのに有効です。先に紹介した中国の無人月探査車は原子力電池で保温することで月のマイナス170°Cの夜を乗り切りましたが,核物質に対する規制が厳しい日本はこの原子力電池を使うことができません。今後,火星の氷点下の世界での都市づくりや,太陽光が弱くなる木星以遠の太陽系開発には,大変重宝する原子力電池ですが,日本がこれを使えないことは大きなハンデとなります。月にも放射性元素の濃集機構があるはずなので,現地で採掘・精製することができれば地球を汚染する心配なく原子力電池を製造・使用することができるようになるのではないかと想像しています。
 唯一,地球に持ち帰る可能性のある資源は,ヘリウム3です。ヘリウム3は核融合炉の燃料となります。ヘリウム3は太陽から放射されている太陽風という粒子の流れの中に含まれているのですが,大気のない月の表面のレゴリスに打ち込まれて蓄積されています。ヘリウム3を抽出してスペースシャトル一杯分(25トン)を持ち帰れば,アメリカ合衆国全土で仕様される全エネルギーの1年分を発電できるという試算があります。核融合炉はまだ実用化されていませんが,実用化されたのちは,ヘリウム3を化石燃料にかわるエネルギー源として活用することができるでしょう。  ここまで述べたように,月で資源を採掘し,その資源をもとに,さらに火星に都市を建設しようという,人類の宇宙への進出のまさに第一歩が始まろうとしています。  18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命の時には,石炭という資源で動かされる蒸気機関と,鉄鉱石,石炭,石灰岩という資源によってつくられる鋼鉄によって人類の生活は一変しました。地下資源を得ようという命がけの努力は,地質学を産みました。そして,人類が存在しない化石生物の時代が地層に記録されているということに気づき,後に進化論へと発展していきました。天地創造で全生物が同時に誕生したとする当時のキリスト教的世界観をくつがえすコペルニクス的転回を引き起こしたわけです。月資源を皮切りに宇宙の資源を採掘する人類の試みも,生命や宇宙の起源を解き明かす活動へとつながっていくことでしょう。
 15世紀半ばから17世紀の大航海時代には,ヨーロッパ人は,アフリカ大陸,アジア大陸,アメリカ大陸と,フロンティアを拡大していき,その過程で世界規模の貿易や,保険などのさまざまな社会システムを作り出しました。大陸の先住民にとっては侵略との戦いの歴史でもあったわけですが,この時代の各国の動きがその後の世界の勢力図に大きく影響を与えたことは疑いないでしょう。人類は宇宙資源の採掘を開始し,本当の意味での宇宙へのフロンティアの拡大がまもなく始まります。これから20年くらいのうちに,日本がどのような活動をするかで,今後200年程度の人類の太陽系の国際勢力図の中での日本の位置づけが決まるのではないかと思います。我々は歴史上,大変重要な選択をする世代なのかも知れません。
 日本人宇宙飛行士の募集も来年の秋に2008年以来,実に13年ぶりに始まります。次世代の宇宙飛行士の活躍の舞台は宇宙ステーションにとどまらず月や火星など他の天体となるでしょう。アポロ計画以降,止まっていた月での有人活動も2024年ころから再開します。民間企業スペースXは再利用可能な有人ロケットを完成させ,創設者にして最高経営責任者兼最高技術責任者であるイーロン・マスク氏は,近い将来ロケットの打ち上げコストを従来型の100分の1にすると気を吐いています。
 現在の月へ向かう風は,二大国の冷戦の構図ではなく,多くの国や民間企業の様々な思いを乗せた複合的な潮流として,そして,月がゴールではなく,その先の火星への移住という壮大な構想のステップとして,強烈に吹いています。アポロ時代とは別次元の宇宙開発の始まりを私たちは目撃……いや,むしろ,なんらかの形で係わることになるでしょう。