宇宙航空環境医学 Vol. 53, No. 4, 126, 2016

一般演題

「加速度・他」

2. 微小重力環境に於ける診断学,起坐呼吸について

吉田 泰行1,中田 瑛浩2,井出 里香3,山川 博毅4,長谷川 慶華5

1威風会栗山中央病院 耳鼻咽喉科
2威風会栗山中央病院 泌尿器科
3東京都立大塚病院 耳鼻咽喉科
4済生会横浜市東部病院 耳鼻咽喉科
5はせがわ内科クリニック

Diagnostics in the Microgravity Environment, on the Orthopnoe

Yasuyuki Yoshida1, Teruhiro Nakada2, Rika Ide3, Hiroki Yamakawa4, Takahisa Hoshino5

1Department of ENT, Kuriyama Central Hospital
2Department of ,Kuriyama Central Hospital
3Department of ENT, Metropolitan Ohtsuka Hospital
4Department of ENT, Saiseikai Yokohama-city Eastern Hospital
5Hasegawa Clinic of Internal Medicine

地球上の生物は誕生してから此の方1 Gの重力加速度の下進化発展して来た為,その仕組みは1 G環境を当然の事として受け入れて来た。よって1 G加速度ではない環境で生命の仕組みは如何にして働くかは未だ分かっていない事も多いが,既に人間が宇宙に行く時代でもあり,生命の仕組みをこの点から探ってみる事にして臨床の立場から分かる範囲で検討を開始したい。
 先ずは環境への影響を考察するに,微小重力環境は−6度の懸垂頭位に相当するという事は既に文献的に確立されている。従って宇宙空間の微小重力環境に生活する宇宙飛行士は上半身に血液・リンパ液が集積顔面浮腫直を来す事が実証されている。次いで呼吸への影響を考察すると,哺乳類の一部である人類では呼吸を駆動する最大の筋肉である横隔膜は体位の影響を受け臥位より起坐位・立位の方が内臓の重量が吸気に有利に働く為,影響を受ける。又同じく臥位より立位・起坐位の方が静脈帰還量が減少する為,肺鬱血も減少する。そして何より大きな事は重力下では水分は下へ・ガスは上へと移動する事で, 水分である肺血流量は肺尖部≪肺底部となり,ガスである空気の換気量も肺尖部<肺底部となるがその大きくなり方に違いが有る為換気血流比は肺尖部>肺底部となる。此れを言い換えれば肺の水平断面積は立位・起坐位より臥位の方が大きくその為換気血流比が減少し,ガス交換の効率が悪化するのである。
 さて通常人間は臥位の方が起坐位・立位より筋肉の働きが少なく楽である,言い換えれば寝ている方がおきている方より楽である。しかし右心不全による肺浮腫は勿論左不全による全身への駆出不全でも肺鬱血を来し呼吸は苦しくなる。この時起き上がると上記の機序で肺浮腫が減少し呼吸は楽になるが,この事を診断学的に起坐呼吸という。であるならば−6度の懸垂頭位で表される微小重力環境では,もし起座呼吸が起こるなら症状はより悪化し,起こる為の閾値もより生起し易い方へ変化すると考えられる。
 現在の所,宇宙飛行士が起坐呼吸を起こしたとの報告は無いらしいが,此れは現在の飛行士の選抜が未だスーパー・ノーマルの人間に傾いている為も有り,又飛行前の面会制限による感染症の遮断等の細かい管理にも拠ると考えられる。しかし将来的には,飛行期間の長期化(地球軌道上の長期飛行,火星への飛行等)を考えるとスーパー・ノーマルの人間でも体調を崩す事は有り得るし,宇宙飛行の民営化による商業化・大衆化に伴いそのための危惧が現実化する事は大いに考えられるのである。
 起坐呼吸に対しては地上では治療法は確立されていると言えるが,問題は宇宙飛行中の発症である。高山病がそうであるのと同じように,地球への帰還が最大で最終的・最良の対処法では有るが常に帰還船が用意できる訳ではなく,又地球との距離的に帰還が極めて困難である場合も有り得る。診断学の範囲を超える事では有るが,これらの事を今から考えておく必要が有ると言える。