宇宙航空環境医学 Vol. 53, No. 4, 73, 2016

特別講演

医学が宇宙開発に果たす役割

向井 千秋

東京理科大学 特任副学長, 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 技術参与

宇宙でも地球でも安全・安心な生活を確立するうえで,医学や医療技術は大きな役割を担っています。また,宇宙開発は有人・無人の探査を通じて人の生活圏の拡大や科学・技術の発展を目指しています。
 【有人宇宙探査(Human Space Exploration)を支える医学・医療技術】 1961年にYuri Gagarinが人類初の宇宙飛行をしてから55年が経ちます。人類はこの間に重力を振り切り宇宙飛行をするロケット技術,地球周回軌道に長期滞在する技術,地球帰還技術等の有人宇宙技術を獲得してきました。当初は米ソの国威発揚が原動力で推進された宇宙開発も現在では国際協力が必要不可欠で,この国際協力の象徴的なプロジェクトが国際宇宙ステーション(International Space Station, ISS)計画です。地球の低軌道を周回するISSは,重力レベルが微小重力環境というユニークな多目的施設で,材料科学,生命科学,技術開発,天体や地球の観測,そして,教育等に利用されています。日本人宇宙飛行士も2年に3人程度の頻度で,6ヶ月程度の宇宙滞在を行っています。
 宇宙飛行を健康で安全に行うために医学が果たす役割は非常に大きく,そのチャレンジの多くは,地球低軌道より遠い月や火星に人類の活動を展開(Exploration)するための医療技術を開発し,その技術を地上に還元することです。さらに,職業飛行士だけではなく,一般の老若男女が宇宙旅行を楽しめるようにするための医療技術を開発していくことも大事なことです。また,この分野を支える研究は,重力や上下の空間識が人や生物に果たす役割を究明していくものです。JAXAは宇宙飛行の医学的なリスクの軽減,健康管理技術の向上,基礎医学研究,研究コミュニティの連携強化,成果の地上社会への貢献等を目的に,生理的対策,精神心理支援,宇宙放射線被ばく管理,宇宙船内環境整備,遠隔医療技術開発を推進しています。また,「宇宙医学は究極の予防医学」,そして,「社会に役立つ宇宙医学」をモットーに,その成果を宇宙飛行士のみならず社会に還元すべく研究を行っています。
 【宇宙基盤技術の人間生活への応用】 多くの宇宙開発技術が地上に還元されていますが,とくに人工衛星を利用した通信技術や地球環境の観測技術は,人間生活の安全保障に不可欠です。宇宙飛行士にとっても究極の遠隔地である宇宙と地球を結ぶ手段として遠隔通信は必須で,これは宇宙飛行士の健康管理(遠隔医療)をはじめ,遠隔教育,機材の遠隔操作等に使われていて有人宇宙飛行を支える大きな基盤技術となっています。また,様々な人工衛星から地球を観測するとオゾン層の破壊,火山活動,台風・降雨状況,流氷分布,海面温度や植物性プランクトン生息,植生分布などが監視でき,天気予報,災害防止,地球温暖化防止,海洋汚染防止,森林破壊防止,砂漠化防止などに役立っています。これらの情報を地球規模の健康管理技術や公衆衛生に役立てていく試みもなされてきています。
 今後,宇宙開発は宇宙商業利用の促進はもとより,一般人の宇宙旅行がそう遠からぬ未来に実現可能となる時代を迎えようとしています。そして,宇宙開発は“人類のための宇宙開発(Space for Humanity)”を合言葉に,開発技術を地上に還元していくことが強く求められています。このような時代に医学が宇宙開発に果たす役割は非常に大きいのです。