宇宙航空環境医学 Vol. 52, No. 4, 59, 2015

一般演題

15. 微小重力下における心拍変動解析−遺伝子操作動物を用いたアプローチ−

石川 義弘

横浜市立大学大学院 医学研究科 循環制御医学

Regulation of heart rate control under microgravity by transgenic mouse models

Yoshihiro Ishikawa, MD, PhD, FACP, FACC, FESC

Cardiovascular Research Institute, Yokohama City University School of Medicine

微小重力は地球上における生命体の進化過程では,未経験の環境である。そのため微小重力に対して,生体レベルでどのような制御メカニズムが対応するのかの検討は,一般に困難と考えられる。然るに近年の高度航空環境や高度飛行では,微小重力化にヒトがさらされることとなり,パイロットをはじめとした乗組員の健康問題や,長期宇宙旅行に対応した生体機能調節をどのように行うかの関心が高まっている。
これまでにも微小重力あるいは無重力環境下では,循環を中心とした調節異常が知られている。これは体液,とりわけ血液が液体であり,そのため重力による影響を受けやすいことに大きく関連する。循環を調整するのが,心血管系であり,その最大の制御メカニズムが自律神経である。微小重力下では,この自律神経調節の異常が報告されているが,自律神経系調節のどの部分が影響を受け,その結果として調節異常が起こるのかの解明は必ずしも容易ではない。微小重力下における責任因子を明らかにすることができれば,将来的に宇宙旅行時における自律神経障害の治療法の開発も可能になると考えられる。
これまでの研究において,パラボリックフライトなどを利用した疑似微小重力環境下で,おもに実験動物を対象とした循環機能変化の研究がなされてきた。しかるにパラボリック実験は,実験費用がかさみ,機材を持ち込める機内スペースも制限され,なによりも複数回の実験を繰り返すことができないというデメリットがある。地上実験であるなら,実験サンプル数を増やすなどの適宜対応が可能であるが,微小重力実験では容易ではない。重力制御に関わる特定の分子が,微小重力下における調節に重要な役割を果たすのなら,当該遺伝子の欠損あるいは過大発現したモデルを使用することにより,微小重力下での影響を最大化することが可能になる。形質変化を最大限に拡大することにより,少ないサンプル数および実験回数で,医学研究的にはっきりとした有意差が得られることとなる。
そこで我々は,遺伝子操作によって自律神経制御に関わる遺伝子の発現を変化させ,微小重力化での比較により,自律神経機能の果たす役割を検討した。自律神経の本質はカテコラミンなどの神経伝達物質による細胞内シグナル制御である。カテコラミン受容体はG蛋白質の活性化を経て,細胞内部のセカンドメッセンジャー産生酵素であるアデニル酸シクラーゼの活性調節をおこなう。この酵素によって産生されるcAMPが心機能調節の本質である。なかでも5型のアデニル酸シクラーゼは心臓における交感神経制御の中心的な役割を果たすことが知られている。そこで本酵素サブタイプを欠損ないし心臓特異的に過大発現させたマウスを,パラボリック飛行下に観察し,テレメトリーを用いて心拍変動解析を行った。これまでの知見では,心拍変動は重力変動フェーズにおいて増加した。その変化は,欠損型において最大で,過大発現型において最少であった。これらの結果から,5型サブタイプが,微小重力下における心拍変動に重要な役割を果たすことが示された。この事実は,特定の酵素サブタイプが重力変化に反応した心拍数制御に重要な役割を果たす事,さらに遺伝子改変動物のツールとしての重要性が示唆され,今後の微小重力研究に貢献することが期待された。