宇宙航空環境医学 Vol. 52, No. 1, 5-7, 2015

追悼

中野昭一先生を偲んで  
吉岡 利忠  
 
弘前学院大学学長/聖マリアンナ医科大学客員教授/青森県立保健大学名誉教授  
   

中野昭一先生ご略歴

1927(昭和 2)年 5月22日東京都中央区日本橋久松町にて出生
1950(昭和25)年 3月 東京慈恵会医科大学医学専門部卒業
1951(昭和26)年 9月東京慈恵会医科大学副手
1962(昭和37)年11月 東京慈恵会医科大学講師
1967(昭和42)年 4月 東京慈恵会医科大学助教授
1967(昭和42)年 4月 東海大学体育学部教授
1974(昭和49)年 4月 東海大学医学部教授
1979(昭和54)年 8月 日本宇宙航空環境医学会会員
1982(昭和57)年10月 日本宇宙航空環境医学会評議員
1982(昭和57)年10月 日本宇宙航空環境医学会理事
1987(昭和62)年 4月 東海大学保健管理センター所長
1988(平成 元)年 4月 東海大学スポーツ医学研究所長
1995(平成 7)年 4月 日本体育大学教授
1995(平成 7)年 4月 東海大学医学部名誉教授
1998(平成10)年 4月 日本体育大学大学院体育科学研究科長
2000(平成12)年 4月 日本体力医学会名誉会員
2000(平成12)年11月 日本宇宙航空環境医学会名誉会員推薦委員長
2002(平成14)年 3月 日本体育大学定年退職
2002(平成14)年 4月 日本体育大学名誉教授
2005(平成17)年11月 日本宇宙航空環境医学会名誉会員
2006(平成18)年11月 瑞宝中綬章受章
2014(平成26)年 3月 7日逝去(享年86歳)


  中野昭一先生はご卒業された東京慈恵会医科大学附属病院で2014(平成26)年3月7日(金)早朝,86歳でご逝去なさいました。
先生は,これまでに日本体育大学名誉教授,東海大学名誉教授,日本体力医学会名誉会員,日本運動生理学会名誉会員,日本病態生理学会名誉会員そして日本宇宙航空環境医学会名誉会員など多くの称号を受けておられます。日本宇宙航空環境医学会では,編集委員,機構検討委員,研究奨励賞選考委員,名誉会員推薦委員会委員長などを歴任されています。先生の研究領域は臨床医学,基礎生理学,病態生理学,運動生理学,宇宙医学,スポーツ医学などと幅広く,それらの学術学会では必ずと言っていいほど発表しておりました。学生,大学院生への教育はもちろんのこと各分野の研究者の育成に力を注いでいたことは,日本宇宙航空環境医学会会員の周知するところであります。私は,東京慈恵会医科大学の学生時代および同校の第二生理学教室から東海大学医学部生理学教室員として,中野先生からのご指導を30年近くにわたり受けてまいりました。ここに先生のこれまでのご功績を記しご冥福をお祈りする次第であります。
先生の業績は多方面に亘ります。先ず,膵臓グルカゴンの血糖上昇作用の働きを実験的に確かめ,血糖を下げるインスリンと協調的に作用して筋肉グリコーゲンを増加させてエネルギー産生に働いていることを本邦で初めて実験的に検証しました。また,スポーツ競技種目における動作分析の研究は東海大学,日本体育大学で積極的に進められました。体育学,運動生理学,スポーツ医科学などのような環境医学分野において,安全かつ安心して運動するために運動愛好者のみならずエリートスポーツ選手の実践的トレーニングに極めて有用であることに着目し,3方向の加速度計をジャイロスコープ内に埋め込むという新しい発想の下に分析機器を開発しました。加速度,偏位の働きと心電図・筋電図波形などを同時に記録しそれらの分析結果を運動指導に役立てたこともその分野で注目され,微小重力環境が引き起こす筋萎縮・骨粗鬆症予防に応用できることを示されました。さらに消化吸収の分野では,実験動物から摘出した飜転(ハンテン)腸管を用い栄養素の吸収に関する実験が糖代謝,アミノ酸代謝,脂質代謝の観点から行われ多くの業績を上げられました。さまざまな実験モデルを考案し,各種栄養素の吸収変動から代謝過程を分析し,それらの研究結果はスポーツ現場の栄養指導に多大に寄与しました。また,心拍数を一定値に規定した運動負荷を用いるという極めてユニークな方法を編み出しました。心拍数変動をトレッドミルの速度にフィードバックし,運動による心循環機能の負担を軽くすることで宇宙環境におけるトレーニングなどに応用できることや心疾患のリハビリテーションなどに有用であるという研究も注目されました。
このような多方面にわたる研究から,中野研究室には多くの学生,基礎医学者,臨床医,医療機器関係者らが集まり,東京慈恵会医科大学,東海大学医学部・体育学部,日本体育大学の研究室では日々活気に満ちていたことを昨日のように思い出します。先生と一緒に研究した同門からは,私もそうですが多くの教授が輩出されており各分野で活躍しております。
さて,中野先生の講義は大変分かりやすく学生に人気があり演習,実習においては面倒見がよく,教室には多くの学生たちが出入りしておりました。このような教室の雰囲気は,2012(平成24)年5月23日にお亡くなりました東京慈恵会医科大学名誉教授,日本宇宙航空環境医学会名誉会員でありました酒井敏夫先生の影響を強く受けたものと思います。私が生理学に導かれたのも学生班の一人として中野先生のご指導を受けたことが始まりでした。
先生は多くの専門書や教科書を上梓しその数は70数冊に上り,図表を多く使いわかりやすく表現された書籍はベストセラーにもなっております。医歯薬・体育・保健医療福祉系の学生の座右の書として利用されております。さらに原著論文は約300編,学会報告は約300近くあります。
中野先生の原稿を執筆するスピードは速く,締め切り期日前には必ず出版会社に送り,校正なども迅速かつ丁寧であり,締め切りを守らない担当者泣かせ先生方が多い中で中野先生ほど出版会社に信用された先生はいないのではないでしょうか。
中野先生はお若いときから細見で長身の体格であり,ネクタイやワイシャツの選び方に趣向をこらしつつダブルのスーツをうまく着こなし,ときにはパイプを煙らしながら颯爽と研究室に入って来られました。中野先生の周囲にはお酒を嗜む先生が多く,あまりお呑みにならない先生でしたが酒の席には気さくに参加されておりました。旅行が大好きで国民体育大会開催地で催される日本体力医学会大会や日本宇宙航空環境医学会大会の前後には周辺の温泉地で必ず同門会を開催するのが恒例になっておりました。
公私ともに接し教えを受け研究に対する正しい姿勢を教えられた多くの方々の心の中に中野昭一先生はいつまでも生き続けることでしょう。心から哀悼の意を表します。安らかにお眠りください。合掌。

写真1 1977(昭和52)年3月3日〜6日
    第52回日本生理学会大会 於:鹿児島市 鹿児島大学
    後列:松原一郎,名取禮二,中野昭一,増田充,内野鉄司,吉岡利忠
    前列:酒井敏夫,馬詰良樹

写真2 1992(平成4)年10月7日
    中野先生,酒井先生を囲む会 於:東京銀座 ねぼけ
    前列:栗原敏,中野昭一,吉岡利忠,酒井敏夫・綾子,鹿村道子
    中列・後列:省略