宇宙航空環境医学 Vol. 51, No. 4, 98, 2014

認定医認定委員会企画

認定医制度10周年記念特別講演

日本の宇宙医学の歴史と宇宙航空医学認定医制度の始まり

谷島 一嘉

日本大学名誉教授,佐野短期大学名誉学長

History of space medicine and qualified aerospace-medical specialists in Japan

Kazuyoshi Yajima

Emeritus Professor of Nihon University, Emeritus President of Sano College

 宇宙航空医学認定医制度は,当時,航空医学に特別な知識のない各県の審査医の先生方が航空身体審査をしておられた現状を耳にし,専門医教育の必要性を痛感したことから始まった。当学会に認定医認定委員会を発足させ,言い出した私が委員長となり,航空医学実験隊の緒方先生,JAXAの立花先生,JALの飛鳥田先生と加地先生を始め,諸先生方と各施設の関係者の皆さんにご協力頂いて初期講習会を立ち上げた。私の教室の岩崎先生が煩雑な事務の殆どを担当して下さった。航空医学実験隊での低圧訓練体験,JAXAの施設見学,JALでの航空医学講義,後にはシミュレーター体験なども実現させて頂いたことを,諸先生方に改めて感謝する次第である。認定医は毎年順調に増え,2014年4月現在,認定医数は137名となった。まだ国交省の認めた制度でないことは心残りである。宇宙航空医学認定医制度が国の制度となり,さらなる発展を続けられるよう,諸先生方のご協力を切にお願いする次第である。
 次に,日本の宇宙医学の黎明期について,ロケットの始まりから私の知っている範囲で説明する。ロケットはドイツのV1号,V2号と,ドイツのフォン·ブラウン博士が始まりと思っている方が多いと思う。ところが19世紀の前半に,ロシアのツィオルコフスキー博士が,液体燃料を使ったロケットの原理や計算,設計などを行っていた事実を知っている方は少ないのではないだろうか。ソ連およびロシアの政府は,ツィオルコフスキー勲章を設けて彼の功績を讃えている。ご承知のように,ソ連は,1961年にボストーク1号でガガーリン少佐の搭乗した初の宇宙周回飛行に成功した。米国はその遅れを取り戻そうと必死になっていたが,宇宙船の大きさも何もソ連に及ばなかった。有名なケネディー大統領の,アメリカは1960年代に月に人を送る,という名演説が1962年に行われ,1969年のアポロ11号の月面着陸に至る。
 わが国においては宇宙開発事業団(NASDA)が昭和44年に設立され,そのごく一部のシャトル利用推進室が,昭和50年頃に浜松町の第二大門ビル2階に設置された。久保園室長,祖一次長,部員は矢代さん,有賀君,中畑君に,3人の嘱託,松宮さん(総括,実験計画),沢岡先生(材料実験),谷島(医学分野)のメンバーで始まったものである。それから日本人の宇宙飛行士を選抜するというのだが,何も分からない,資料もないところからのスタートで,NASAのヒューストンの医学センター長のサム·プールや,ヒューストンの副所長のキャロライン·ハントゥーンなどに紹介されて,それに関する資料を集めて持ち帰り,その翻訳からスタートした。
 昭和58年募集のNASDA第一期宇宙飛行士選抜の医学検査は,日本大学医学部附属板橋病院で実施し,昭和60年に日本人宇宙飛行士3人が確定した。NASDAに宇宙医学実験棟を設計し,エルゴメータ,LBNP装置,直線加速度負荷装置,回転椅子の4種類の訓練用機器を設置した。実際の訓練の頃には,関口先生,宮本先生,弓倉先生らがフライトサージャンの資格を取って帰国され,色々とご協力くださった。これからという途端にチャレンジャー事故が起き,飛行は大幅に延期されてしまったのであった。