宇宙航空環境医学 Vol. 51, No. 1, 1-12, 2014

総説

有人宇宙実験FMPTと有人ライフ・サイエンスの役割と重要性1

古賀 一男

京都ノートルダム女子大学 心理学部

The Mission FMPT (First Material Processing Test) as a First Japanese Manned Life Science in Space Has an Extremely Important Role for the Gravity Contingent Neuroscience Research in the Past and Future

Kazuo Koga

Department of Psychology, Kyoto Notre Dame University

ABSTRACT
 First Japanese manned space life science mission FMPT (First Material Processing Test) had an extremely important role for the gravity contingent neuroscience research in the past and may have potential power for the human life science in the future.
It was the 20 years anniversary for the mission FMPT in 2012. Engineers, PI, CI, and the persons who concerned about the mission participated the ceremonious meeting in Tokyo in September, 2012. The month September was the time when FMPT was flown in 1992. FMPT was also called as SL-J (Spacelab Japan), the first Japanese manned space flight and experiments on the space shuttle Endeavor as STS-47 including a couple of experiments both for life and material science. Unexpected accidental disaster of space shuttle Challenger occurred in 1986 postponed the mission time line from 1988 to the 1992. Four years delay from originally scheduled year of 1988 for the FMPT gave fatally negative effect for the space science of FMPT itself. The report describes the various problems of human experiments in space contingent with gravity environments from the viewpoint of human factors and practical operations of non-gravity specificities in the space environments taking into account of the quality of data acquisitions after the long term delay of mission executions. The first Japanese manned space experiments was undertaken by NASDA (currently re-organized into JAXA). NASDA provided us the key person Dr. H. Matsumiya (Bio-system International) as the coordinator to negotiate with NASA and NASDA instead of each PIs who were not the specialist at all for the micro-gravity environment and also have less experiences of distant remote operations for the experiments by astronauts. Dr. Matsumiya had professional experiences and knowledge about the space science from cell biology to human psychophysics covering almost entire life science and research. The report introduces his decision making as the scientist in the critical situation during FMPT flight missions at MSFC (Marshal Space Flight Center) in Huntsville/Alabama. The ongoing space experiments now faces complicated situations for the availability of ISS (International Space Station) both by the collisional political interactions and less economical investments to the space explorations. The history of space explorations had to solve those problems by compromising between the current life on earth and the future outer-space life. I also discuss about the possible utilization of ISS for the human social science research based on past biology and neuroscience research in space to create new perspectives of human life on earth and forthcoming future accommodation in outer space planets.

(Received: 22 November, 2013 Accepted: 20 May, 2014)

Key words:松宮弘幸,FMPT,有人宇宙実験,NASDA,JAXA

I. はじめに
1992年9月12日フロリダ州ケープ・カナベラル,ケネディ・スペース・センターのスペース・シャトル専用発射台39Bから毛利衛・搭乗科学技術者を乗せたエンデバー号が約300 kmの天空へ向けて旅だった。ミッションは我が国独自の実験FMPT (First Material Processing Test)がシャトルのカーゴ・ベイのおおよそ半分を占有しておこなわれた。その後20年余を経過し現在ではFMPTが残した多くの事実と教訓が急速に失われて行きつつある。2012年はFMPTの運用から20年が経過した年であった。2002年の10周年の時と同様20周年の同窓会がJAXA(宇宙航空研究開発機構)の肝いりでFMPTが運用されたのと同じ月の9月に開催された。FMPTプロジェクトの責任者,祖一紀雄氏,FMPTに関与した現在JAXAで活躍中のスタッフ,PI(Principal Investigator; 主任研究者),CI(Co-investigator; 共同研究者),コントラクターから出向していた技術者諸氏,そしてFMPTの搭乗科学技術者であった毛利衛氏等が久しぶりに一同に会した(Fig. 1)。これを機会にFMPTの足跡の一端を辿ってみると共に,研究者とNASA,NASDA(宇宙開発事業団)の間で重要な役割を果たされた松宮弘幸氏(当時の(株)バイオシステム・インターナショナル代表)の重要な発言や論文についても触れてみたい。残念ながら松宮氏は2005年に亡くなられたのだが,東京でお別れの会が持たれた時には毛利衛氏からは松宮氏を偲ぶエピソードも多く語られた。「2005松宮」で検索をかけてみると多くの研究者が松宮氏の早世を惜しむ記事を目にすることができる。本論では筆者の直接経験の中に占める松宮氏の役割に触れながら宇宙環境におけるライフサイエンス実験の重要性について述べておきたい。

II. 有人宇宙実験の重要性
有人宇宙活動には巨額の費用が必要であることを声高に指摘しサイエンス・リターンが貧弱であるとする意見がある。しかし未だかつてそのような証拠が明瞭に示されたことはない。研究費が意味もなく無駄に使われることはどの分野にも垣間見ることができる。宇宙関連研究にもそのような例は無きにしもあらずだが,それを指していう批判は無責任な誹謗中傷であることが多い。多くの研究成果が世の中に送り出されてきた。サイエンス・リターンは充分ある。もちろん宇宙という特殊な環境で,しかも専門領域の研究者ではないアストロノートに実験を依頼するという特殊な状況や,いったん確定した研究計画が様々な理由で実施に長い待ち時間がかかってしまうこと,しかも実験手順や装置の変更が難しく実験が実現した時には研究テーマが陳腐化してしまっているという現実などの研究を取り巻く状況は研究者にとって極めて不利な要素を含んでいることは事実である。このような風評を恣意的に捕らえて「日本における有人ミッションの可能性は無い」等という歪曲された暴言を目の当たりにすることもあるが,そこでは明らかに意図的な歪曲や議論のすり替えがなされている16。宇宙実験の重要性についてはFMPTの経緯や結果を引用して多くの関係者が様々な証言を残している。総括的な観点から記述されたものとしてFMPTのプロジェクト・サイエンティスト支援の役目を負っていた松宮弘幸氏が総括と提言を多く残している14,15。宇宙放射線の生物への影響8,骨あるいは発生のメカニズムと重力の影響21,微小重力環境下における細胞内シグナル伝達について19,日本における宇宙医学の貢献に関するレビュー20,日本人宇宙飛行士の選抜と訓練に関する概容23,ヒトを被験者とした微少重力と知覚研究についての報告9-12等,多くの発言がおこなわれている。本学会が発行する学会誌「宇宙航空環境医学」の編集長を長らく務められた大平充宣先生は微小重力と筋について継続的に報告を積み重ねている18。JAXA(旧NASDA)のスタッフも内部関係者にしか知り得ない事実に関して様々な報告をおこなっている2。FMPT以後のライフ・サイエンス,マテリアル・サイエンス領域の宇宙実験をサマリーした報告書も多く公刊されている3-7。これらの資料を参考にしながらFMPTの意義と問題点,今日に与えている影響,そして将来にむけた問題について人間の感覚・知覚・行動の研究の視点から有人活動の重要性に触れながら述べてみたい。


Fig. 1. Re-union meeting of 20 years anniversary for the mission FMPT held in September 2012 at Tokyo Shiba Daimon.


III. 宇宙空間という物理環境
宇宙空間を研究と実験のプラットフォームとする理由について多くのラショナーレが述べられているが,それらは宇宙環境という側面だけに限ってみても異なったレベルや観点から述べられているため,時として「提案の一般的意義は理解できるが,その研究は地上でも出来るのではないか?」という反論や批判も繰り返されて来た。私がFMPTに関与した初期のレクチャーで渡された資料には「宇宙環境とは(1)無沈降,(2)超真空,(3)微小重力,(4)高電磁波,(5)過酷な熱環境,の環境依存的特殊性がある」と書かれている。最近のレビューでも素人にもわかり易い言いまわしで記述されている7。これらの宇宙に特有な環境は明らかに材料・物質科学(マテリアル・サイエンス)の宇宙利用や天体観測の視点から記述されたものである。高電磁波の存在は大気がないことに起因する高レベルの宇宙放射線に暴露される環境を意味するが,ライフ・サイエンスの立場から見ると「超真空環境」や「苛酷な熱環境」と同様に我々人間が生存するためには防御し手当てしなければならない環境である。従ってそのような環境は生きた人間を対象にする実験や研究のプラットフォームにはなりにくく,ヒトを対象とした実験は極めて少ないということになる。しかし研究が皆無というわけではなく遺伝子や染色体に対する宇宙放射線の影響に関する細胞実験8,あるいは生物の突然変異を研究とする動物実験には絶好のプラットフォームになりうる。「無沈降」という環境要因についても同様に生体のシステムに対する影響について議論されることは少ない。このように特殊な宇宙環境は材料実験 (研究)ではそのような環境を地上で得ることが困難であるため広範な興味をひきつけているところがライフ・サイエンスとは事情が大きく異なっている。ライフ・サイエンス研究にとって国際宇宙ステーションが周回する地上約400キロメートルあたりの宇宙空間では微小重力が実験変数として利用可能であり研究する意味があるということになる。しかし宇宙環境とはどのような物理環境かを熟考しないと,地上でごく普通におこなわれている研究や実験を「宇宙でやってみたら何か面白い結果が得られるのではないだろうか」というレフェリーには受け入れ難いプロポーザルを書いてしまうのである。このことについては後で詳しく述べるとして宇宙環境が生体に及ぼす影響について更に考察してみよう。

IV. 微小重力環境と生体の反応
生体が微小重力を知覚する器官は内耳の耳石器官である。耳石の機械的メカニズムは比較的単純である。耳石器官内部の有毛細胞上の炭酸カルシウムの結晶が身体の直線運動時に慣性力によって有毛部がたわむことで細胞部に興奮を起こさせ中枢へ情報を送るものである。その機能から重力を直接知覚するメカノリセプターであるとされている。しかし日常生活場面では地球の重力だけが耳石器官を刺激するわけではない。自分自身が3次元空間内で自発的あるいは受動的に身体運動が生じた場合は重力と同じように加速度を生じ生体に刺激を与え生体の感覚受容器はそれを検知し時として意識レベルの「知覚」レベルまで情報を持ち上げることもある。従って地上においては重力と自分の体動で生じた直線加速度成分の「合力」の時々刻々の変化を知覚していると考えなければならない。一方,微小重力環境下では宇宙飛行士が秒速8 kmの等速円運動をおこなうスペースシップと共に移動していて,この時生じる遠心力が作る加速度と地球の重力が均衡していれば,見かけ上重力が無いように見える。その状態を無重力とか微小重力と呼んでいる。しかし飛行中の宇宙飛行士は自らが動き回ることで生じた加速度だけを耳石器官で感じ取ることになるので,ヒトに限らず自走する生物が微小重力環境下に置かれた時でも加速度を受けていることになる。地球上との違いは微小重力環境下では重力加速度が無いに等しい情況で自分が作り出した加速度だけを処理しなければならないところにある。地上においては圧倒的に刺激価が高い重力によってマスクされてしまっている自分の動きによって生じるエゴセントリックな加速度環境だけを頼りにして行動するということになるわけである。すなわち宇宙空間における微小重力環境という物理的環境特性だけで微小重力環境下における生体の変化を説明するには不十分であるということになる。この問題は地上における実験ではどのように考えたら良いのだろうか。人為的に外部から直線,回転加速度を加える実験をおこなった場合,負荷した加速度を実験変数とすることで生体の側に生じた変化を果たして説明できるのだろうか。
直線加速度付加装置,あるいはスレッドと呼ばれる装置がある。この装置は被験者を乗せたゴンドラの加速度を変化させながら(あるいは一定の加速度で)軌道上を往復運動させる装置である。一定の距離の軌道上を往復させるので軌道の両端では運動方向を反転させる必要がある。その時点では速度,加速度共にゼロとする必要があるので装置そのものの機能に限界がある。通常は正弦波状に加速度を変化させながら連続運転をすることが多い。被験者は軌道上のカプセル内にあぐらをかいた状態で着座するが,その姿勢を軌道上の直線運動に関して前進・後退方向(X軸),左右方向(Y軸),あるいは床に仰臥する姿勢にして前後方向(Z軸)に加速度を加えることで,身体の各軸に対して直線加速度を加えることが可能とされている。負荷できる加速度は軌道の長さと速度制御機構の能力に依存している。軌道の長さは小規模なものでは数メートル程度,大きなものでは軌道長が数十メートルに及ぶものもある。希に一定の加速度を短時間ではあるが維持できる機能を持った装置もある。しかし装置の全長に制限があることから一定の加速度を連続的に任意の時間与えることは一般的には困難か不可能である13。大規模で多くの自由度を持った同類の加速度負荷装置は外にもある。東富士にある自動車製造会社が製作したドライビング・シミュレータは良く知られている。この装置は,35×20メートル大のXY-テーブルの上に実物大の車体をすっぽり包み込む360°全周ドーム型スクリーンとシームレス映像投影装置による全視野視覚刺激システムを装備していて,それら全体の乗ったテーブルの傾斜角を変化させる6軸油圧装置を含めて搭載したものを巨大なXY-テーブル上で動かす大規模・ドライビング・シミュレータである。運転席の操作に応じた2次元平面上の直線,回転運動と速度,加速度変化を被験者に与えることが可能である。自動車の運転に特化した装置であり単一方向にのみ単純な繰り返し加速度を負荷するスレッドとは一線を画する大型装置であるが重力環境下における加速度負荷装置として極めて洗練されている。
ところで,水平運動型の直線加速度装置は地上で使用する場合決定的な問題点があることを認識している研究者は少ない。即ち水平移動型の直線加速度負荷装置は水平方向に加速度を負荷するという意味であるが,ゴンドラ内の被験体にかかる実際の加速度は地球の重力加速度との合力方向に作用するので生体にとっては決して水平方向に加速度が負荷されているわけではない。水平方向に加速度を負荷したので生体には水平加速度がかかっていると報告する研究者もいるがそれは間違いである。仮に1 Gの加重力が水平方向に負荷されたとしてみよう。Fig. 2に示したように被験者の身体(耳石)には重力方向を基準として45度下方向に√2 Gの加速度がかかるのである。図では直線加速度装置上で正弦波状に加速度を加えた時の往復運動時に台車上の耳石が受ける実際の直線加速度の変化を示した。地上において人為的な加速度を与える類似の装置としてはパラレル・スイングと呼ばれる振り子状に疑似直線加速度負荷装置に関しても同様である(Fig. 3参照)。この装置は重力環境下における振り子運動をする台座を天井からリジッドな支持枠を用いて懸下した装置をスイングさせて正弦波状の直線加速度を加える装置である。この装置も水平型直線加速度負荷装置と同様に機能上の限界がある。更にスイングする度に僅かだが上下方向への加速度も加わる為に複雑な加速度を与えることになることを心得た上でデータを吟味しなければならない24。水平方向に加速度を負荷する装置はISS等の微小重力環境下では強力な刺激負荷装置であることは間違いないが地上においては基本的な問題を含んでいることを認識しておくことは重要である。事実これまでもスペースシャトル内に超小型の直線加速度負荷装置を持ち込んだ実績がある22。ISS内にも加速度装置を運び込む計画はあるが実現には至ってない。
生体に直線加速度を定量的に正確にかつ耳石の感受性方向の軸に合わせて与える手段はある。直線加速度負荷装置が生体に与える加速度を与える方向を水平方向ではなく垂直方向に,即ちエレベータと同じメカニズムで被験体に加速度を与える装置を製作すれば地球の重力環境下においても純粋に耳石にかかる直線加速度を地球重力の増分あるいは減少分として極めて容易に定量的な負荷を変化させることが可能になる。垂直型の直線加速度負荷装置のカプセル内において被験者の体位を様々に変化させることで被験者の耳石に対する負荷加速度を制御することも可能となる。直線加速度負荷装置が通常水平設置型であるという先入観を捨て去れば,耳石という重力加速度の感覚受容器に関する研究は飛躍的な進展をみせるに違いない。大がかりな装置とそれを設置する実験建屋が必要であるという偏見は水平型でも垂直型でも同様であると考えるべきである。垂直式直線加速度装置に思いを馳せないのは重力の捕囚となっている地球人の保守性に他ならない。
地上においては耳石器官以外でも重力を知覚することができることを誰でも知っている。身体にかかる重力によって体重が生じそれを支える身体各部の抗重力筋に分布する筋紡錘からの入力や姿勢を維持する時の骨格の角度を維持する時の腱からの入力(ゴルジ腱器官),身体外部から身体にかかる負荷は体性感覚の一部によって重力を知覚することができる。更に重力の知覚について範囲を拡大してゆくと重力に対応した地勢構造,あるいは建築物の構造などが視覚によって網膜に映じた画像からも重力を知ることができると言い出す研究者もいる。聴覚でも可能であると言い出す時は「重力を知覚する」という意味の定義を厳密にしておかなければならない。重力が生体に与える影響を更に拡大してゆくと様々な重力関連のライフ・サイエンス研究の守備範囲が拡大してくる。微小重力環境下における体液シフトの問題とそれに伴う様々な身体パラメータの変化あるいは不調,そして順応と対抗措置,微小重力環境下に長期暴露された時の筋萎縮の問題とそれを防止する方法,等々様々な医学的な問題と問題解消の手段,微小重力環境における長期滞在による内意分泌の変化と順応過程と重力・微小重力に関連する研究は幅広い裾野を広げていることが本学会誌においても詳しくレビューされている20。宇宙におけるライフ・サイエンス実験について重要課題領域を宇宙医学,宇宙生物学の研究をあげておくにとどめる。宇宙医学では,宇宙動揺病,心循環系失調,体液および電解質,赤血球損失,免疫性低下のメカニズムと対策,骨無機質損失に関するカルシウム損失のメカニズムとその対策,筋肉量損失,宇宙生物学では重力検出機構,日周期リズム,胚発生,成長と構造,特に植物における構造成分の合成あるいは構造に対する重力の影響,動物骨格: 内骨格,ホメオスタシス等が代表的な研究テーマである。


Fig. 2. Temporal change of resultant acceleration force between earth gravity and artificially given acceleration by SLED when the SLD is driven with sinusoidal wave form.


Fig. 3. Temporal change of resultant acceleration force for the human subject on the parallel swing apparatus.


V. FMPTからみた今日の有人宇宙実験
ライフ・サイエンスの問題について我が国最初の有人宇宙実験であるFMPTに遡って宇宙実験に関するいくつかの要点を指摘しておきたい。研究者であるPIとNASDA NASAとの間で現実的な問題解決に尽力された松宮弘幸氏が書き残したもの,あるいはFMPTに携わった期間全体に亘って直接レクチャーやアドバイスを受けたものを引用しFMPTの意味を考察し,可能なら現在進行中のISS「きぼう」におけるミッションにも触れておきたい。
松宮弘幸氏は1932年北海道に生まれ1953年に北大理学部化学科を卒業された。その後ミネソタ大学,北大の助手を経た後,(株)野村総研生物科学研究部長を勤められた後1979年にはバイオシステム・インターナショナルを設立された。JAXAの前身であるNASDAの嘱託職員としてFMPTにはその企画段階の1976年から参加された。生物学者として蓄積した豊富な経験と知識をベースとしてFMPTではサイエンス・アドバイサリー・ボードの主幹およびライフ・サイエンス実験全般に関するプロジェクト・サイエンティスト支援の役目を担われた。FMPTが終了しISSが運用に至って本格的な宇宙実験が開始されようとした矢先に病を得て2005年8月11日に逝去されたことはまだ記憶に新しい。今後の宇宙実験の行く末を考える時,最も必要かつ重要なキーパーソンを失ってしまったという喪失感を多くの研究者が感じたに違いない。ここでは松宮氏が宇宙におけるライフ・サイエンス研究をどのように考えていたかについてミッションに関する見解を中心に紹介しておきたい。NASDAの藤森氏(FMPTプロジェクト・サイエンティスト),小山氏(FMPTライフ系実験装置開発,実験運用担当)によるとFMPT実施に関する当時のNASDAの基本方針は,@ 宇宙環境利用推進のための基盤整備と実用化の促進,A ミッション全体の効率的,効果的,体系的な実施,B 国際協力,国際社会への寄与,C 有人宇宙システムとしての安全確保,D 将来の宇宙環境インフラストラクチャーの整備であるとされている。またFMPTの全般的なポリシーとしては実験装置の設計・開発はNASDAの責任において果たし,一方研究者は装置を含めてシャトル全システムの利用者(ユーザー)であるから関与することはないとも述べられている。研究者によっては装置の開発を研究者自身がおこなえばもっと良い実験装置を作り上げることができると主張するケースも多くあった。藤本,小山両氏は「当時の日本には所謂ユーザー・プログラムが無かったので研究者自身に搭載機器の開発をまかせられる段階にはなかった」と述べている。この意味は「FMPTにおいて個別の実験を計画した研究者(PIとCI)は実験装置の開発にアクセスする立場にもなかったし,そのような事項についてNASAと個別の関係を持つ契約になってなかった。そのようなプログラムはインストールされてなかった。」のである。個別の装置の製作に関して小さな相談事をNASDAあるいは装置を製作するコントラクターと話し合うことが無かったわけではないが,オフィシャルにはそのようなルートは最初から無かったのである。このことは研究者が自分の研究室のワークショップで装置を作ったりする行為を日常的におこなっていると「それも私達が参加し直接手を下すべき領分である」という意見を述べたくなるが「それは駄目です」と理由なく告げられ困惑したことが幾度もあった。その理由を今になってようやく納得したわけである。

VI. FMPT小史
FMPT実験の公募と第1次選定は1979年に開始された。これはスペース・シャトルの初飛行1981年の2年前である。1981年にスペース・シャトルを用いておこなわれたスペースラブミッションSL(SpaceLab)-1(1983年11月)はアメリカ,ヨーロッパの多国籍ミッションであり非常に大きな成果をあげた22。筆者が1984年3月にベルン大学へ在外研究員として出発する直前の3月には,御手洗玄洋教授(名大名誉教授で本学会第3代理事長)がSL-1のPIであるMITのL.R. Young教授を初めとして重力関連のライフ・サイエンスを牽引していた各国の研究者を多数招聘してシンポジウムを開催した。SL-1直後の実験ビデオも紹介された。SL-1の成功は後のFMPTの最終テーマ選定にも大きな影響を与えた。FMPTの第2次選定で34テーマが確定したのは1984年だった。この年はアポロ計画の残余パーツを使用しておこなわれた有人宇宙実験であるスペース・ラブの初飛行がおこなわれた翌年でもあった。First Material Processing Test(第1次材料実験)注2という名称が正式なものとされたということから推測すると,材料実験の集合体に対して名称が与えられたと推測できる。第1次選定の結果をNASAとNASDAのすり合わせ会合に持ち込んだ場で「日本は宇宙実験を短期的な材料の製造試験の場所のように考えているが,もっと長期的な展望に立った提案を呈示すべきである」というアメリカ側の意見が示され,そのアドバイスを勘案した上でライフ・サイエンス領域を含めて2次選定の公募に臨んだと聞かされたことがある。しかしこれは伝聞にすぎず当時の私の立場では確実な話ではなかった。西永頌氏(FMPT M09のPI)は日本マイクログラビティ応用学会の会報誌の第1巻1号(1984年1月31日付け)ニュース欄に次の様に述べている。「マイクログラビティニュース欄を見ると,第一次宇宙材料実験(FMPT)の第二次選定が迫っていること,応募件数は103件でそのうち62件が第一次選定で選ばれ,その年の4月にはそこから材料関係20件,ライフ・サイエンス関係10件の計30件が選ばれる予定。」17と書かれている。この記事の内容はかなり正確で西永氏が当時のNASDAの決定に深く関与していたことをうかがわせる内容となっている。事実1984年の第2次選定では12のライフ・サイエンス実験を含めて34の実験テーマが採択されシャトルの打ち上げに向かって準備を加速させる情況が整いかけていた。
FMPTで搭載機器の開発が問題になる理由のひとつにFMPTのスケジュール変更の問題があった。第2次選定後に予定されていたシャトルの打ち上げは1986年1月のチャレンジャー号の事故により長期間延期を余儀なくされた。打ち上げ中止期間は32か月間続きSTS-26によりシャトルの飛行が再開したのは1988年9月29日であった。FMPTが実施されたのは更に4年後の1992年9月であった。チャレンジャーの事故以前にFMPTがアサインされていたスケジュールは1988年であったから,もしチャレンジャーの事故がなければ1984年の第2次選定と3名の初代日本人宇宙飛行士の決定から4年後の1988年に飛行が実行されていたことになる。搭載実験装置の製作,宇宙実験に無知なPIとCIの教育と訓練,日本人宇宙飛行士の基本的な教育と訓練,及びFMPTで運用された34テーマのオペレーションについて教育と訓練の作業を考えると分秒を争う情況であったことになる。シャトル飛行の再開後1992年にアサインされていたSTS-47(FMPTミッション)までには24回分ものシャトル打ち上げが控えていた。時間的には更に4年の待機期間が必要だったことになる。実際には以下に要約するように極めて複雑怪奇な道のりがあったのだが,実験プロポーザルの提出から計算すると10年という長い時間が必要だったことになる。この時間をどのようにやり過ごしていき日常の研究と教育を織り交ぜて行くかに関しては非常に強靱な精神力が必要であった。
FMPT実験はチャレンジャー号の事故以後一挙に1991年まで延期されてしまった。手元にある1990年1月にNASAが作製したマニフェストでは1991年6月17日に予定されていたSTS-47の打ち上げ時期は更に1年以上延期され1992年9月にアサインが修正されていた(Fig. 4参照)。1990年には国内でもミッションのニックネームが一般公募され「ふわっと91」が採用され国内向けデカールも公開された。しかし「ふわっと91」の公開直後にスケジュールの再延期がなされニックネームとデカールは「ふわっと92」に訂正された。アラバマ州ハンツビルにあるMSFC(マーシャル・スペース・フライト・センター)のNASDA現地事務所が置かれていたトレーラーハウスの壁に古いデカールがピンナップされていた。そのようなものがあるとは思っていなかったので1992年のFMPTの運用中に「こんなものもう不要なのでは」と言って貰ったものが手元にある。「ふわっと92」と並べてみると1年の再延長は6年の空白期間以上に焦燥感が増したようで再延長は研究者にとってマイナスの影響しかなかった(Fig. 5参照)。しかし問題なのは気分や焦燥感等の私的な問題ではなく搭載装置の性能が時代遅れになっていたことであった。
チャレンジャー号の事故からFMPTの実施まで6年の空白期間が生じたが,この間のエンジニアリングとテクノロジーの進歩は著しいものがあった。それにもかかわらずFMPTで使用される予定の装置は大部分が研究者が手を触れる機会もなく打ち上げ再開の1992年までそのままの形で保存された。この間にも実験装置や実験手順の変更はほとんどと言ってよいほど許可されなかった。チャレンジャー号の事故によって実験計画が延期されたことは様々な理由でプラスの側面もあると発言する研究者もいた。たとえば仮に事故がなく当初の計画通り1988年に実施されていたら準備不足のままシャトルの打ち上げに突入し困ったことになったであろうと言うPIもいた。しかし前述のように問題は長期間の運用停止によって実験装置が陳腐化すること,特に研究の進捗が激しく早い領域では新しい知見が次々と報告され研究課題そのものが陳腐化するということであった。これらの情況について松宮氏はFMPT終了直後の1993年にミッションを回顧して次のように述べている。たとえば搭載用の実験装置に関しては「実験を提案する段階で,あるいは実験装置の開発開始の段階で多くの研究者・技術者は宇宙実験の実体をほとんど知らないし体験もない…普通の実験室でおこなう経験をもとにプロポーザルを書き装置の原案を作成する。…地上で使用している実験装置には重力を利用しているものが多いことに気がつかないのである。…どうすれば微小重力環境下で装置が動作するのかを考えるのは一種の頭の体操である。極論すれば地上で上下逆さまにしても正常に動作する装置なら大丈夫と言えよう」と述べている。この記述は宇宙実験のプロポーザルの困難さを的確に記述していると同時に宇宙実験を提案する研究者が宇宙における様々な環境について多面的に評価することが極めて困難であることを示している。特に松宮氏は宇宙空間におけるライフ・サイエンスの実験は基礎生物学に貢献するのみではなく宇宙飛行技術の開発にとっても極めて重要な要素を多く含んでいることを指摘している。宇宙環境におかれた環境で使用される実験装置については,共通に使用することが可能なように設計された装置と,複雑な実験に特化された装置の両方の要求を満たすことを乗り越える必要がある。コストをカットする為に地上の研究室の装置を宇宙仕様に改造することが容易でなく実際には新しく開発する以上にコストが生じること,宇宙実験に特有なハザード・ガイドラインをクリアすることが極めて難しいなど多くの考慮すべき事情がある,とも述べている。FMPTのテーマ選定が実施されていた1983年の段階で既に今日の宇宙ライフ・サイエンス実験で心得ておくべき要素がもれなく記述されていることに松宮氏の正確な先見性を感じる。しかし松宮氏であってもシャトルの事故を予見することはまったくできなかったのである。


Fig. 4. Re-assigned STS flight schedule from 1990 to 1992 on the manifest of flight schedule distributed in January on 1990 after the disaster of Challenger.


Fig. 5. Original decal for the Fuwat 91’ originally scheduled and revised Fuwat 92’. Fuwat 91’ was rescheduled from 1991 to 1992 so that the original decal vanished in smoke.


VII. FMPTにおけるプロジェクト・サイエンティスト補佐,松宮氏の重要な役割
FMPTの運用とその前後の期間に松宮氏から受けたアドバイスを紹介することで彼の研究に対する厳しい資質を述べておきたい。私が担当した実験はL-04「宇宙空間における視覚安定性の研究」であった。実験を要約すると,重力環境下ではヒトの空間識の変容を眼球運動(非抗重力筋による運動)と頭部運動(抗重力筋による運動)という異なるシステムで制御されている行動が密接に連携して(協応運動)視野の中心窠に視対象を捕捉している。この2種類の異なる運動制御機構による精密な行動が個体発生的にも系統発生的にも長時間地上の重力環境下において育まれてきた生物(人間)が微小重力環境でどのような振る舞いをするのか,それが空間識の安定的な維持に関係するのかを検討しようということが目的であった。実験の結果については様々な学会誌やNASDA,NASAの報告書に概要を重ねて来たのでここでは省略する。FMPTの実験管制はハンツビルのMSFC内のPOCC (Payload Operation Control Center)でおこなわれた。STS-47はFMPTだけが運用されたのではなく米国側の実験も多く搭載されており実験管制もそこでおこなわれていた。記憶している実験をいくつか列挙するとLBNP (Lower Body Negative Pressure),FEE (Frog Embryology Experiment),AFT (Autogenic Feedback Training),SAMS (Space Acceleration Measurement System),等や,船外空間に暴露された容器内で完全に自動化された実験を運用するGAS (Get Away Special) 等であった。各実験グループが作成配布したデカールの一部をFig. 6で示す。POCC内におけるPI,CIの実験管理とデータのモニタリングは,シャトルに搭乗した飛行士の12時間交代制の時間に対応して昼組(Red shift),夜組(Blue shift)に分かれて作業がおこなわれた。松宮氏と筆者はBlue shiftに配置されていたのでミッション中は連日(連夜?)宇宙実験,実験装置,研究者の批評,日米の文化の違い等,多くの事柄について飽きもせず話し続けた。Blue shiftで監視中の松宮氏を撮影したスナップ写真をFig. 7に示す。L-04の実験は7日間の飛行のうちMET1(Mission Elapsed Time 1日目) MET3,MET6の都合3回実験をおこない微小重力環境に暴露されている間の時間経過に伴う順応過程を検討するという計画であった。2回目の実験がおこなわれたMET3の作業が終了した時のことである。船上でおこなわれた実験のデータはPOCC内に設置されたペーパー・オシログラフ上にリアルタイム・ダウンリンクされており実験の推移をモニターできるようになっていた。送受信時のひどいジッタ・ノイズが乗ってはいたけれどもデータの概要はよくわかった。1回目,2回目のデータを見る限り眼球運動をモニターした直流EOGのアナログデータは良好に記録されていることを確認することもできた。しかし両肩の僧帽筋の活動を記録するEMGは増幅機の倍率が不足していたことと,微小重力環境下では地上で5〜6キログラムの重量がある頭部の重量がゼロになることで筋の活動が極端に小さくなってしまい事実上記録できないという問題があった。非動化装置の中で固定された頭部の眼球運動に伴う反射性のアイソメトリックな運動はほとんど記録に値する出力を得ることができなかったのである。3日目におこなわれた2回目の実験でも情況は同様であった。この時点で松宮氏は筆者に対して「このまま3回目の実験が予定されている6日目も実験を継続する気か?」と聞いてきた。更に加えて「眼球運動は地上で実験した時と比較して変化が見られないようだし,筋電図にはアイソメトリックな筋緊張が記録できてない。このような状態で最後の実験をやって10年の時間と多額の税金をつぎ込んだことの両方についてあなたは言い訳ができるか?」と低い声で問いかけてきた。筆者は少し考えさせて欲しい旨を返事したが,その日は松宮氏自身が関係している電気泳動装置が不調な原因究明で日本のメーカー担当者との対応をする作業で多忙を極めておりこれ以上会話は進まなかった。
最後の実験となるMET6までの2日間は,様々な分析方法の可能性や実験計画の変更の両方を考えて過ごすことになった。FMPTではよほど特別な理由が無い限り実験手順の変更,あるいは自分に割り当てられた実験時間を越えて他の実験がアサインされている時間枠に侵入するスケジュールの変更は厳重に禁止されていた。Blue, Red shiftの交代時に必ずおこなわれるデブリーフィングと申し送りの為の連絡会議では実験に関する評価や特別な要求があるかどうかを確認する時間がとられていた。随所で予期しない変調や問題がおこっていたにもかかわらずPIから実験手順の変更要求はほとんど無かったので,どのような筋道を組立て,書類を書くかについての情報を得ることはできなかった。筆者が到達した結論は,@ 自分の実験条件を一部省略しA それで生じた時間枠に新しい実験条件をセットしてもらうということであった。この様な要求はOCR (Operation Change Request) と呼ばれているが,これを要求することができる条件には「実験手順の変更」は含まれていなかった。OCRを要求するとPlannerと呼ばれる専門家がタイムチャートと手順書の両方を睨みながら新しい Payload Crew Activity Planを作り直す作業をすることになる。その時はRR (Re-plan Request) という要求書の提出も必要になるはずであった。手順の変更理由として苦肉のあげくひねり出したのは @ 筋電図を記録する増幅機の出力を確認する為に A 船上の毛利氏に頭部非動化装置から頭を外してもらい B 眼前中央のLED指標を固視したまま左右方向にサイン波状におおよそ1.0 Hzのペースで頭を左右に振ってもらうという要求であった。首を大きく振ってもらえば僅かであっても筋の緊張を示す筋活動が確認できるかもしれない。そしてこれは増幅機の正常な状態を確認できる言い訳になるかもしれないという確信犯的な偽装要求であった。増幅機の動作確認だけが目的ならLEDを固視したまま適当に頭部運動をしてもらえば済むことであり,1 Hzのタイミングを指定してサイン波状に頭部運動をする必要はなかった訳である。しかし筆者はどうしても意味のあるデータを取得したかったのでこのようなOCRを作製したのである。この手順変更に必要な時間として10〜12分程度のリソースが必要であることが机上の計算で得られていた。これに対応する時間は4種類ある実験条件の一つを省略することで捻出できそうであり,そこに新しい手順を挿入することにしてRRの回避を狙った。頭部運動は直接記録する予定がなかったので計測装置はなかったが,一点を注視した状態で頭部を動かせばEOGの電位変化が位相は180°逆相になるものの頭部運動を記録することができることに気が付いた。眼球運動計測を確認する為に記録している胸部から上のクローズアップのビデオ映像もデータとして利用することができるというころまで考えて決心が固まった。松宮氏に確認と同意を求めたところ「全てはあんたの説明にかかっている。俺はデブリーフィングに出席するメンバーではないから」と言って大あくびをした。実験の前日のデブリーフィングで正式に要求書を提出し手順の変更理由の説明をした。NASA側のプロジェクト・サイエンティストとスケジュール管理者からは大きな反対もなく,時間枠の制限だけは遵守するよう釘をさされただけで手順の変更はあっけなく許可された。後日思い通りのデジタルデータ,動画のビデオ画像を入手することができミッション後の地上統制実験では条件を追加し追加データの取得もでき両者の比較をおこなうこともできた。綱渡りのような実験であったが松宮氏の叱責にも近い忠告が無かったならFMPTのL-04は無駄なデータの山を前にして困惑する結果に終わったであろうことは間違いない。


Fig. 6. Several mission badge made by the US research groups on STS-47 in 1992.


Fig. 7. Science advice manager, Mr. Hiroyuki Matsumia was engaging the life science experiments in FMPT during night shift in POCC/MSFC.


VIII. 現在検討されているISS利用ミッション
2011年に退役してしまったスペース・シャトルが主役となって建設したISSの運用について現在議論がおこなわれている。ISSについては少なくとも今後2020年までの運用が決定しているが,この間にいくつかの領域で実験が公募されることになる予定である。これまでの宇宙利用の実験では顧みられることがなかった領域である人文・社会科学系の研究についてシナリオの策定がJAXAで議論されていて3つの分科会が設定されている。それぞれ@ 思想分科会,A 行動分科会,B 芸術利用の3分科会が設定され準備と試験運用について議論が進められている。これらの分科会を総合的に評価し舵取りをおこなうのは「人文・社会科学シナリオWG」であるが,このWGからは近々「2020年までの人文・社会科学利用シナリオ」が公刊される予定である。この領域の研究者には宇宙実験の経験が少なく,微小重力やその他の物理的な特性についての基本的な要素技術の蓄積が不足するであろうという点では30年前のFMPTの開始時期と情況が酷似している。この計画が円滑に進行する為にもこの小論が何か役にたてば筆者の責務の一端が果たされるのではないか。

IX. エピローグ
名古屋大学・環境医学研究所に1991年宇宙医学実験センターが設置され2007年3月に廃止された。2006年11月に第2回ホームカミングデー「宇宙から地球へ」が開催された機会に,宇宙フォーラムの好意によりJAXA,NASDAが支援したミッション関連の展示がなされた。星出彰彦・飛行士の特別講演もJAXAの特別な計らいのもとにおこなわれた。この時,宇宙医学実験センターでL-04以後も通常の実験にも使用していたFMPT地上訓練と地上統制実験のデータを取得する為の大型装置である「全周体位傾斜装置」が名大・豊田講堂に移設・展示された。ホームカミングデーの翌日,装置はそのまま名大博物館に移送され寄贈の手続きがとられた。この時寄贈された資料(博物館では標本と呼称するらしい)はFMPTの運用時に使用した書類,手引き書,契約関連書類,運用中に使用した多くの資料類,写真や静止画像,印刷物の類,そしてPIに配布されたミッション関連の記念品,ピンバッジ,デカールなどのグッズ,運用中にハンツビルのMSFCにダウンリンクされた映像記録のうちL-04に関連したビデオ画像(NASAのダウンリンク部署に必要な日時を指定し正式要求したビデオテープ),およびそれらをデジタル画像に変換したファイルを収納したハードディスク等であった。FMPTでは宇宙医学実験センターにおいて数度にわたり毛利,内藤,土井の宇宙飛行士に地上統制実験とL-04実験の手順訓練がおこなわれた。三菱重工・神戸造船所では国内における最終の操作訓練がおこなわれた。それらの機会に筆者が撮影したビデオテープなども含まれている。これらの映像はプレス関係で取得されたものではないので名大博物館にのみ原資料が所蔵されていることになる。昨年度(2013年2月)にはJAXAと日本科学未来館に幸運にも残されていたL-04実験で使用した実験装置の一部も無償譲渡契約の後,同博物館に寄贈された。寄贈された装置は光刺激装置(LIS; Light Impulse Stimulator,エンジニアリング・モデル)と実験中の毛利さんの姿勢の確認と眼球運動のビデオ画像を収録する為にシャトル搭載用に製作されたベータ・カム収録・再生装置(プロトタイプ・フライト・モデル)であった。以前から手元に保管してあった身体頭部固定装置(Body Restraint),ベータ・カム撮影機固定支持装置などの実験機材,そして手元に置いておけばいずれ散逸し破棄される印刷物や廃棄の憂き目に遭う関連物品は恒久的に保存してくれる永住の場所を見つけることができた1)。これらの装置の捜索と手続きについてはJAXAの小山正人氏,上垣内茂樹氏,日本科学未来館・館長の毛利衛氏,寄贈受け入れ側の名古屋大学博物館の蛭薙観順,西田佐知子,足立守,藤原慎一の各先生方に素人の筆者に代わって多くの作業をお願いすることになった。この作業によりFMPTの記録と資料の一部が確実に後世に残されることになった。


1) 本総説は2013年11月におこなわれた第59回日本航空宇宙環境医学会大会(小野寺昇大会会長)における特別講演【我が国が主導した最初の有人宇宙実験から20年が経過した重力ライフ・サイエンス研究】の一部を元にして新しく書きおろしたものである。
2) First Material Processing Test は【第1次材料実験】という日本語に翻訳されているが,ここで日本語化されているTestという英語は【試験】あるいは【検査】という意味で使用されることが通例である。従ってFMPTを第1次材料実験と呼ぶことにはかなり無理があると言える。おそらく【第1次材料試験】あるいは【第1次材料検査】と呼ぶことにはミッションそのものを矮小化してしまうのではないかという懸念あるいは配慮があったのではないかと考えられる。この小論が事実を発掘することを期待している。

文 献

1)朝日新聞: お宝発見 全周体位傾斜装置・名古屋大学 平成19年11月30日.http://www.asahi.com/edu/university/otakara/TKY200711290269.html
2)藤森義典,小山正人,藤本信義: FMPTを振りかえる,宇宙生物科学,7, 289-302, 1993.
3)日比谷孟俊: 宇宙環境利用の新たな時代を目指して─物質科学および生命科学における宇宙環境利用の視点から─。日本学術会議,pp. 1-13, 2008.
4)井口洋夫: 我が国の宇宙実験─成果と教訓─。宇宙航空研究開発機構,pp. 1-403, 2005.
5)井口洋夫: 宇宙航空研究開発機構特別資料 Tuesday Evening Seminar(TES) 火曜日セミナーの11年を振りかえる。宇宙航空研究開発機構,pp. 1-144, 2010.
6)井口洋夫: 宇宙環境利用と人類の将来(II)─宇宙に住む,宇宙から地球を見る─。宇宙航空研究開発機構,pp. 1-156, 2006.
7)井口洋夫: 宇宙環境利用のサイエンス。裳華房,東京,pp. 1-316, 2000.
8)池永満夫: HZEおよび宇宙放射線の遺伝的影響─準備期間や飛行中に生じた種々の問題点─,宇宙生物科学,7, 367-376, 1993.
9)古賀一男: 「宇宙医学実験センター」への道のり,宇宙生物科学,6, 123-127, 1992.
10)古賀一男: 生物と重力環境─生物学的意味と行動学的意義─,人間情報学研究,8, 1-14, 2003.
11)古賀一男: 知覚の正体─どこまでが知覚でどこからが創造か。河出書房新社,東京,pp. 1-222, 2011.
12)Koga, K.: Gravity cue has implicit effects on human behavior. Aviat. Space Environ. Med., 71, A78-A86, 2000.
13)古賀一男: 前庭機能「新編 感覚・知覚心理学ハンドブック・Part2」。誠信書房,東京,pp. 453-464, 2007.
14)松宮弘幸: 宇宙ライフィサイエンス実験,人間工学,19, 303-308, 1983.
15)松宮弘幸: 宇宙実験のうらばなし,日本機械学会誌,97, 34-35, 1994.
16)森 滋夫: 宇宙医学実験センターの歩みと改組に向けて,環境医学研究所年報,116-126, 2004.
17)西永 頌: 日本マイクログラビティ応用学会会報発刊のころ,日本マイクログラビティ応用学会誌,20, 94-95, 2003.
18)Ohira, Y., Jiang, B., Roy, R.R., Oganov, V., Ilyina-Kakueva, E., Marini, J.F. and Edgerton, V.R.: Rat Soleus muscle fiber responses to 14 days of spaceflight and hindlimb suspension. J. Appl. Physiol., 73, S51-S57, 1992.
19)佐藤温重,東端 晃: 細胞内シグナル伝達と微小重力。平成12年度宇宙環境利用の展望 第7章,宇宙システム開発利用推進機構,2009.
20)関口千春: 日本における宇宙医学の歴史─宇宙開発事業団を中心として─,宇宙航空環境医学,43, 95-113, 2006.
21)須田立雄: 生物の進化と老化の観点から見た骨,日本学士院第51回公開講演会,2009.
22)Victor J, Wilson.: Special issue for the Vestibular System Experiments on Spacelab-1. Exp. Brain Res., 64, 237-392, 1986.
23)谷島一嘉: 日本人ペイロードスペシャリストの選抜と訓練,人間工学,19, 309-312, 1983.
24)Young, L.R., Oman, C.M. and Watt, D.G.: M.I.T./Canadian vestibular experiments on the Spacelab-1 mission: sensory adaptation to weightlessness and re-adaptation to one-g: an overview. Exp. Brain Res., 64, 291-298, 1986.


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