宇宙航空環境医学 Vol. 50, No. 4, 99, 2013

認定医セミナー

「航空宇宙医学における検疫,防疫,感染症防護」

5. 宇宙における微生物 ─微生物に関するこれまでの知見と未来─

太田 敏子

宇宙航空研究開発機構

Microorganisms in the space environment updated information and future directions

Toshiko Ohta

Japan Aerospace Exploration Agency

微生物は,細菌,ウイルス,真菌がその主要なものであるが,地球環境ではこれらは1Gの重力下で進化·適応し,ヒトおよび,それを取り巻く環境と共存して生息している。「宇宙環境」というのは地球外のすべての環境を指し,微小重力と宇宙放射線に曝される特殊な場である。人類は,その宇宙環境に飛行技術により国際宇宙ステーション(ISS)という新たな「閉鎖宇宙環境」を創り出した。
 宇宙に生命体は存在するか?という永遠の命題は依然として推測の域を出ないものの,人類が地球上から持ち込んだ生命体(動物,植物,ヒトおよび,それに付着した微生物)の生理·生態系に及ぼす宇宙環境の影響は,この宇宙飛行50年間で少しずつ明らかにされてきた。今回は微生物の中でも大半を占め,当初から42年間で300件に近い論文が発表されている宇宙環境における細菌の変化について概説し,宇宙微生物の未来の方向性についても話題提供する。
 宇宙放射線は,細菌のDNAに直接障害を与えると同時に,間接的にもラジカルを発生し菌体内の水と反応してDNAや酵素蛋白質,生体膜にも障害を与え,細胞の死や変異が起きることが予想される。NASA(米航空宇宙局)やESA(欧州宇宙機関)の多くの研究者はISSに取り付けた微生物計測装置を用いて細菌細胞を宇宙に曝して培養し,宇宙環境による細菌の生理的変化や応答の変化を調べた。
 これまでに,軌道上の菌の病原性について以下のことが明らかになっている。① サルモネラ菌では,病原性が軌道上では地上の3倍も高くなること,② しかも軌道上では,病原因子を調節するrpoSという遺伝子の発現は低く,新たにグローバル環境調節因子であるRNA結合タンパク質Hfqが見出されたこと,③ 緑膿菌では,バイオフィルム形成能が約倍以上に上昇すること,④ 膜の透過性が下がり,薬剤耐性が上がること,⑤ 菌の代謝や運動性は低下するが,細胞分裂は進むこと,⑥ 枯草菌では,胞子生存率が増すこと,などが認められた。
 また,重力感知システムがあるのかどうかについて詳細は不明であるが,宇宙環境では生理的変化が認められることから,細菌の細胞が機械的なシグナルを検出している可能性はあると思われる。現時点では,二つの説,メカノ感知チャンネル説と変形細胞骨格そのものが重力センサーになるという説がある。
 一方,ISS環境内では,打ち上げた人体の常在菌や荷物に付着している以外の微生物は見出されていない。ヒトの皮膚には1億個/cm2,500種以上,腸内には1兆個/g,約1,000種の細菌が棲んでいることから,宇宙に最も多くの菌を持ち込むのはヒトであることが解る。また,人体の60-70%の免疫細胞は腸管粘膜に集まっており,腸は人の最大の免疫組織でもある。しかも腸内細菌は免疫細胞の活性化を促すことも解ってきた。これらのことから今後,宇宙飛行士の腸内細菌叢の変動を調べることが健康のバロメーターとなれば,微生物も興味深い課題であるかが理解できよう。これらの細菌が宇宙環境でどのように進化するかは,NASAで研究計画を進めている。