宇宙航空環境医学 Vol. 49, No. 4, 106, 2012

宇宙航空医学認定医セミナー

「航空身体検査基準の国際比較─日米を中心に─」

3. 妊娠·出産に関わる飛行停止基準とその考え方

辻本 由希子

航空自衛隊 航空医学実験隊

Aeromedical disposition criteria about pregnancy

Yukiko Tsujimoto

Aeromedical Laboratory, Japan Air Self-Defence Force

航空機操縦業務に携わる女性は増加している。女性操縦士の多くは生殖可能な年齢層にあり,妊娠の可能性は常に念頭に入れておく必要がある。従来,妊娠は疾患ではないとされるものの,解剖学的にも生理学的にも顕著な体調変化を伴う状態であることを考慮しなければならない。また,異常妊娠や正常妊娠中であっても重度の合併症を伴った場合には,突発性機能喪失のリスクを有することや,体重,体形及び循環動態等の変化から来る操縦パフォーマンスの低下の可能性も指摘されている。更に,低圧,気圧変化,低酸素等の航空環境で及ぼしうる母胎への影響という観点からも,妊娠中の操縦士等に対してフライトの制限が設けられてきた経緯がある。今回,操縦士の妊娠時のフライト制限の有無等について,米国と日本における民間航空,米空軍,航空自衛隊での航空身体検査基準等を明らかにし,それらの相違点や考え方について検証した。
 米国の民間航空機操縦者については,連邦航空局の航空身体検査基準(FAR;Federal aviation standards)では,正常妊娠中の操縦士に関して,妊娠自体でフライトを停止する等の制限は特に定められておらず,妊娠後期で装具との適合性等に関する助言·指導を行うことができるとされる。これには,妊娠時の低酸素症は胎児の死亡や発育障害の原因となりうるとの知見はあるものの,与圧された民間航空機の機内高度を勘案した場合,それらのリスクは極めて低く,妊娠後期の体形変化等に伴う安全性の問題への配慮は必要との判断によるものである。また,米国空軍の基準 (MES; Medical Examination and Standards)では,飛行資格を有する正常妊娠中の操縦者は,妊娠中期に限定し,搭乗機種等に一定の制限を付与されたうえで,フライトの継続が認められている。これは,母体側の観点から,いわゆる不安定期といわれる妊娠初期の悪阻等の合併症や加速度耐性の低下,及び妊娠後期の体重·体形変化に伴う救命装具への不適合の問題,緊急脱出動作への支障を考慮したものである。そして,胎児側の観点からは,低酸素症,減圧症や高高度飛行による放射線の影響が考慮されている。
 一方,我が国の民間航空機操縦者に対する国土交通省の基準(航空法施行規則)では,自家用操縦士への航空身体検査(第2種)については,正常妊娠者である場合,妊娠中期に限りフライトが許可されている。しかしながら,定期運送用操縦士や事業用操縦士への航空身体検査 (第1種) では,妊娠の時期等に関わらずフライトは認められておらず,現在のICAO基準(国際民間航空条約第1付属書)とのかい離が認められる。また,防衛省の基準(航空身体検査に関する訓令)においては,地上で勤務する管制官を除く航空業務従事者に対する航空身体検査では,妊娠は不合格疾患等に該当すると規定されており,妊娠中の操縦者のフライトは許可されない。これは,国土交通省の基準や航空自衛隊におけるフライト任務の特殊性が考慮されている他,自衛隊員に対する人事関連の規則的な背景があると考えられた。