宇宙航空環境医学 Vol. 49, No. 4, 66, 2012

一般演題

8. 宇宙航空環境における歯科の課題と今後の展望

財津 崇1,太田 敏子1,須藤 正道1,2,大島 博1,向井 千秋1

1宇宙航空研究開発機構 宇宙医学生物学研究室
2東京慈恵会医科大学 宇宙航空医学研究室

The problems and future prospects of space dentistry

Takashi Zaitsu1, Toshiko Ohta1, Masamichi Sudoh1,2, Hiroshi Ohshima1, Chiaki Mukai1

1Space Biomedical Research Office, Japan Aerospace Exploration Agency
2Division of Aerospace Medicine, The Jikei University School of Medicine

宇宙飛行士の口腔疾患のリスクを調べた研究は過去いくつか報告されている。歯周病については,1970年代のSKYLABミッションで宇宙飛行士の歯垢や歯石が増加したことや歯肉溝滲出液中の歯周病原性の嫌気性菌が増加したことが報告され,う蝕については,潜水艦での環境からシミュレートして宇宙環境におけるう蝕のリスクが高いことが報告されている。またベッドレスト環境において,安静時唾液量減少,舌と下顎の運動機能減少,開口量減少など口腔機能が低下したこと,ベッドレスト環境およびMARS ANALOGUE RESEARCHにおいて唾液中のストレス成分が増加したことなどから,模擬宇宙環境でう蝕や歯周病のリスク因子が増悪することが報告されている。今後は,宇宙滞在時のう蝕,歯周病の新しいデータの収集や,リスク因子の宇宙環境での調査,まだ調べられていない咬合,口臭,顎骨量変化などの口腔関連の研究課題を調査することが重要である。
 また宇宙飛行士の口腔健康管理の課題についても検討した。NASAのDesign Reference Mission(DRM)において,う蝕や補綴物の脱離は起こる可能性があるため治療の可能性を明示するべきと定義されている。診断についてはMedical Requirements Integration Document(MRID)において,歯科検診およびオルソパントモグラム撮影が義務付けられているが,宇宙滞在時·地球帰還後の測定は行われていないため,宇宙滞在による口腔疾患のリスクや影響は十分に評価されていない。また,治療については,宇宙滞在時における口腔症状対応マニュアルが搭載されているが,歯科医師以外では使用が難しい可能性があり,今後はより簡易的で効果的な治療器具や対処マニュアルの搭載が必要である。予防については,宇宙飛行士各自の歯ブラシやフロスを用いたセルフケアに任されているが,その効果的な使用法やう蝕予防としてのフッ化物の利用など口腔健康の知識を向上させるようなマニュアルは作成されていない。さらに,う蝕や歯周病のリスクとなる唾液量の減少や舌機能の低下が起こる可能性も報告されているため,口腔機能向上プログラムの提供なども予防効果として大きいと考えられる。上記のように宇宙飛行士の口腔健康管理については「診断」,「治療」,「予防」とそれぞれの視点に課題があることがわかった。
 今後は,ISSでの1年間の宇宙滞在,さらに月や火星へのミッションなど長期間の宇宙滞在が見込まれるため,宇宙飛行士のう蝕や歯周疾患の重症化や急性化は十分に起こる可能性がある。う蝕や歯周病が急性化した場合には激しい疼痛を伴うことになるが,宇宙には対応できる歯科医師がいないため,歯科疾患の予防とリスク管理は非常に重要である。そのため宇宙飛行士の口腔の健康向上を目的として,研究課題や運用上の対応策(診断,治療,予防)を取組む宇宙口腔健康向上プログラムを作成する必要がある。