宇宙航空環境医学 Vol. 48, No. 4, 115, 2011

若手の会シンポジウム

3. 微小重力環境と体力科学

松尾 知明

宇宙航空研究開発機構

Microgravity environment and sports science

Tomoaki Matsuo

Space Biomedical Research Office, Japan Aerospace Exploration Agency

宇宙滞在により飛行士の全身持久性体力(活発な身体活動を長時間維持するための体力)は低下する。微小重力環境での心臓への負荷減少や身体不活動がその主要因である。これまでの研究によると,数週間の宇宙滞在や微小重力環境を模擬したベッドレストにより,全身持久性体力の評価指標である最大酸素摂取量(VO2max)が20〜30%低下する。これは40〜50歳の飛行士の体力が60〜70歳の水準にまで低下することを意味する。将来の有人火星探査などにおいては,ヒトが船外で強い身体活動(労働)をおこなう場面も想定しておく必要がある。微小重力環境下でのVO2max低下への対策は,今後の長期滞在ミッションに向けた重要な課題の一つである。このような状況を鑑みて,現在JAXAでは,短時間で効率的に心機能やVO2maxの低下を防止できるエクササイズプロトコルを考案する研究に着手している。
 身体への負荷減少に伴う体力低下は宇宙飛行士に限ったことではない。科学技術の発展により誘発される現代人の運動不足は,現代社会で重大な課題となった肥満やメタボリックシンドロームの主要因とされる。宇宙飛行士の体力低下を防止するための取り組みが,現代社会人の生活習慣病に係る問題解決の一翼を担う可能性がある。現在JAXAで取り組んでいる研究は,アスリートのトレーニングプログラムとして用いられることが多い高強度インターバルトレーニングを,宇宙飛行士を含む非アスリートに適用させるための取り組みである。ここで得られた成果は,将来,一般国民にも還元できる。国民の関心が高い“宇宙飛行士”をキーワードとするなど,JAXAならではのアウトリーチ活動を通じて,国民の運動習慣形成にも貢献していきたい。
 一方,人類の進化を考えると,人体が身体不活動に適応することで,医学的には運動が必要ないとされる時代が来るかもしれない。人類自らの手で身体活動を抑制する方向に社会を構築している事実が,その可能性を示している。肥満やメタボリックシンドロームに係る最近の研究では,身体活動やエクササイズの効果が過大評価される場面も少なくない。エクササイズの効果は,アウトカムに影響を及ぼす他の要因(カロリー制限など)との関係のうえで検討することが肝要であると筆者らは考えている。宇宙医学研究の重要課題である微小重力環境は,身体不活動が誘発される現代社会の究極のモデルとも言われている。微小重力環境は体力科学研究を進展させる上でも大変興味深い。