宇宙航空環境医学 Vol. 48, No. 4, 60, 2011

一般演題

10. 新型インフルエンザ(H1N1)の停留措置を受けた航空便乗客のストレス·ケアについて

立花 正一1,井上 夏彦2

1防衛医科大学校 防衛医学研究センター
2宇宙航空研究開発機構 宇宙飛行士健康管理グループ

Stress care for flight passengers isolated in quarantine due to containment operations against the new Influenza

Shoichi Tachibana1, Natsuhiko Inoue2

1Defense Medical Research Institute, National Defense Medical College
2Astronaut Medical Operations Group, Japan Aerospace Exploration Agency

世界を席巻した新型インフルエンザの我が国への侵入を阻止すべく,厚生労働省は2009年4月に成田国際空港での検疫を開始した。5月8日北米から到着した航空便乗客の中に,新型インフルエンザ感染者が発見されたため,濃厚接触が疑われた48名の乗客に対し,我が国で初めての停留措置が実施された。停留対象者は厳重な隔離閉鎖の管理下に置かれたが,彼らの精神面のストレスが懸念され,ストレス·ケアのために宇宙航空研究開発機構(JAXA)に依頼があり,演者の一人が現場に赴いて支援を行った。停留期間は結果的には7日間と短く,管理側の配慮も奏功し,停留者に隔離閉鎖によると思われるストレスは認められなかった。しかし,ある者についてはインターネットによる外部からの誹謗中傷,マスコミの過剰取材によるストレスが認められた。この事実は停留管理に当たっては,管理当局がマスコミや外部の人々に対する適時適切な情報提供を行い,欲求不満や不安を軽減し正しい理解を求める,いわゆる「リスク·コミュニケーション」の在り方が重要であることを示唆した。我々はむしろ,ストレスの多い状況で長期間の勤務を強いられた検疫·停留担当者の側に,隔離閉鎖環境に関連すると思われるストレス徴候を認めた。これは事件から一年後に行われた 空港検疫所の職員への聞き取り調査でも裏付けられた。このことは,長期間にわたりストレスの多い環境で“隔離”されるように勤務する者へは,勤務·休息スケジュールや人員配置計画の点で,特別の配慮が必要であることを示唆した。
 我々のケースを「隔離閉鎖環境」という観点から,アメリカ航空宇宙局(NASA)医療チームが支援に関わったチリ·サンホセ鉱山落盤事故(2010年8月)の作業員,国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在する宇宙飛行士のケースと比較検討した。チリ作業員のケースは突発的に起こり,過酷な環境での生命の危険の伴うサバイバルであったが,地上からの精力的な支援,国民の支持,作業員達のチームワークやリーダーシップの重要性,ミッション終了時の大きな感動などの点で,ISS飛行士のミッションに類似していた。一方新型インフルエンザのケースでは,停留者は「感染の危険のある個体」として取り扱われ,外部やマスコミからの批判的な干渉を受け,解放時には新たな緊張と不安を強いられるなど,孤独や疎外感を伴うものであり,全く性質を異にしていた。今後同様の事態が発生した場合,検疫·停留管理者はこのような特殊な状況を勘案して,停留者のストレス軽減に当たるとともに,担当者のストレスにも十分に気を配る必要のあることが示唆された。