宇宙航空環境医学 Vol. 47, No. 4, 94, 2010

宇宙航空環境医学若手の会シンポジウム

1. 民間航空における航空医学適性

田村 信介

防衛省航空幕僚監部首席衛生官付

Medical fitness for civil aviation

Shinsuke Tamura

Staff of Surgeon General, Air Staff Office, Ministry of Defense

航空環境は地上環境と異なる“異常環境”である。高空環境として低圧,低酸素,低温や紫外線·宇宙線などが,航空機環境として加速度,振動や騒音などが挙げられるが,これらに対する生体反応に係る学問が航空生理学であり,この異常環境において生体が適応するための応用が航空医学であろう。
 航空機が実用化された黎明期には事故が多発した。各国の軍などがその原因を分析した結果,航空機乗組員の身体的要因に起因する事故が過半を占めた。そこで,航空環境における業務遂行中に身体的不具合が発生する“おそれ”のある者を排除するべく航空身体検査の制度が創設された。
 当初はこの“おそれ”がどのようなものかわからず,過度に頑健な者を“選抜”する検査であったが,航空医学の発展に伴い事故等につながる状態が解明され,航空(機)技術の発達に伴い操縦士等への負担は軽減され,航空需要の進展に伴い操縦士等の需要が急速に拡大し,過度に厳しい身体検査基準は改められていった。航空機は空中では静止できず,航空機乗組員が適切に操作できなければ直ちに事故につながることから,航空環境の暴露で病状が悪化する疾病に罹患している者や,適切な操作ができない状態に比較的短時間で陥る(急性機能喪失)恐れのある者が除外されることとされていった。特に,急性機能喪失は多くの場合航空事故につながるため,今日の航空身体検査はこれの排除を最大の目的としている。
 航空機は,その速度や地形に左右されないことから,実用化されてすぐに国際間運送に用いられるようになったが,しかし,離発着地点間で規則や基準が異なると運航できないため,国際間で取決めが交わされてきた。こうした慣習法が体系化·成文化され,国際民間航空条約が成立した。航空身体検査の基準や方法等を含めた,航空の技術的要件は,条約の附属書として国際民間航空機関(ICAO)が策定し,管理している。
 我が国も,この国際民間航空条約を批准し,ICAOの定める標準に可能な限り準拠することとしている。一定の航空医学等についての講習を修了した医師を指定航空身体検査医(指定医)に指定し,この157名(2010年10月1日現在)の指定医が法令で定められた身体検査基準等に則って,全航空機乗組員の航空身体検査を行っている。指定医で判定できない事案は国土交通大臣が判定することになるが,実際には航空医学の専門家等で構成される航空身体検査証明審査会で個別に総合的に審査される。
 航空身体検査により身体的な適合性が証明される。航空業務を行うためには有効な身体検査証明が必要で,定期的にこれを更新しなければならないが,有効期間内であっても罹患や受傷等によって航空業務が行えない状態に陥ることがある。このように医学適性を喪失した場合は航空機乗組員が自ら航空業務を停止しなければならないが,一般に航空機乗組員に医学的判断は困難である。このため,航空医学に長けた医師がこの判断を行うことになる。自家用操縦士では,この判断は地域の指定医が行うケースが多くなるが,航空会社では,この判断を会社として行う体制を構築することが求められている。
 航空機を運航する者の医学適性は,航空身体検査による断面的なチェックと会社による継続的なチェックにより,常に判断され,そして,航空の安全が守られているのである。