宇宙航空環境医学 Vol. 47, No. 4, 77, 2010

一般演題 

33. 身体および視覚情報のroll傾斜が頭位と自覚的身体軸方向に及ぼす影響

松延 毅1,栗田 昭宏1,溝上 大輔1,2,田村 敦1,2,塩谷 彰浩1,緒方 克彦3,和田 佳郎4

1防衛医科大学校耳鼻咽喉科
2航空自衛隊航空医学実験隊
3防衛医科大学校幹事
4奈良県立医科大学第一生理

Effects of visual information during static body roll tilt on subjective head postural vertical and subjective visual body axis

Takeshi Matsunobu1, Akihiro Kurita1, Daisuke Mizokami1,2, Atsushi Tamura1,2, Akihiro Shiotani1, Katsuhiko Ogata3, Yoshiro Wada4

1Department of Otolaryngology, National Defense Medical College
2Aeromedical Laboratory, Japan Air Self Defense Force
3Vice President, National Defense Medical College
4Department of Physiology I, Nara Medical University

「傾き感覚」は空間識の重要な要素であり,少なくとも地上において安全で快適に生活するために必要不可欠な感覚である。本研究では身体(自己)および視覚情報(外界)のroll傾斜が頭位と自覚的身体軸方向(subjective visual body axis)に及ぼす影響について検討した。
 地上では常に下方向に1 G重力が存在するため,例えば遠心機で横方向に1 Gの遠心加速度を負荷するとその合力と身体軸の角度は45度となり,視覚情報がなければ合力が重力とみなされ被験者はおよそ45度傾いたと感じる。では宇宙ではどうなるであろうか? 重力がないため直線加速度は横方向のみとなり,「横方向へ直線運動している」もしくは「横に寝ている」という感覚が生じると考えられた。しかし,1998年におこなわれた16日間の宇宙滞在中における実験では,予想に反して地上と同様の傾き感覚が観察された。これまでの傾き感覚のメカニズムを考え直す必要が出てきた。一般に傾き感覚の測定には,SVV(Subjective Visual Vertical: 自覚的視性垂直位)を用いるが,これは重力軸を指標とした測定法であるため重力の無い宇宙環境では応用することができない。そこで今回,地上でも宇宙でも使用できる可能性があるSVBA(Subjective Visual Body Axis:自覚的視性身体軸)を考案し,SVVとSVBAの特性を検討した。
 実験は,航空自衛隊航空医学実験隊に設置されている3軸の傾斜·回転と3 Gまでの遠心加速度刺激が可能な空間識訓練装置を用いた。空間識訓練装置の内部は戦闘機のコクピットに似せており,眼前にプロジェクターで任意の映像を映し視覚刺激を与えることできる。被験者を座位にて頭部と体幹を左右から固定し,視野制限ゴーグル(左右36度,上下28度)を装着させた状態で,左右30度の範囲内でroll傾斜を与え,回転感が完全に消失した後にSVVおよびSVBAの測定をおこなった。SVVとSVBAの測定では,キーボードを用いてスクリーンに映し出されたバーを回転させ,SVVとして自覚的な重力方向,SVBAとして自覚的な体軸方向を回答させた。傾き感覚はSVV·SVBAと実際の頭部傾斜角度の差として算出した。また今回,宇宙実験を視野に入れ,図に示す携帯SVBAによるdisc上のバーを自分で回転させる簡易的なSVBA測定もおこなった。さらに,頭部固定をはずした頭部freeの状態にて頭部を身体に対して直立に保つよう指示し,その際のSVBAと頭部偏位角度を測定しました。この条件に関しては,身体roll傾斜は左方向のみおこなった。
 視覚情報がない条件で頭部を固定して身体をroll傾斜(≦20度)させると,SVVとSVBAはともに身体傾斜の方向へ偏位した。身体傾斜が30度になるとSVVの偏位はさらに大きくなるが,SVBAの偏位は小さくなった。頭部freeでの頭部の偏位は身体傾斜が10度で最も大きかった。以上の結果は,傾き感覚はその測定方法により特性が異なることをあらわしている。
 視覚情報がある条件で頭部freeにて身体を左roll傾斜(≦30度)させると,右に傾いた静止画のみならず左に傾いた静止画によってもSVBAや頭部の偏位は小さくなった。以上の結果は,傾き感覚に対する視覚情報の依存性が大きいことをあらわしている。
 以上の傾き感覚およびSVBAの特性を考慮して宇宙実験を実施する必要がある。今後は様々な視覚刺激や前庭刺激を合わせて空間識の研究を実施し,無重力環境や航空機での事故につながるような空間識失調,特に視覚性錯覚の理解と予防の一助になればよいと考える。