宇宙航空環境医学 Vol. 46, No. 4, 123, 2009

教育講演

2. 冬眠時の心拍動を維持するメカニズム

志水 泰武,椎名 貴彦

岐阜大学大学院連合獣医学研究科 基礎獣医学連合講座 獣医生理学研究室

Mechanism for maintaining cardiac pulsatility during hibernation

Hiroyoshi SeiYasutake Shimizu, Takahiko Shiina

Department of Basic Veterinary Science, Laboratory of Physiology, The United Graduate School of Veterinary Sciences, Gifu University

 リスやハムスターなど一部の小型齧歯類は,気温低下 や食物不足など冬季の厳しい環境を耐えるために,体温 を大幅に下げ冬眠する。冬眠中のハムスターにおいては, 体温が10℃ 以下にまで低下し,心拍数は覚醒時の350 回/ 分程度から20 回/ 分以下に減少するが,心停止や細動, 不整脈が発生することはない。すなわち,低体温下で心 臓が障害を回避するメカニズムを保有しているといえる。 そのメカニズムを解明することは,低体温療法や移植臓 器の低温保存に応用できる可能性を含んでいる。
 冬眠動物の心臓が低温に耐性を示す機序が,これまで さまざまな方向から検討されてきた。しかし,これらの 研究のほとんどは,冬眠中の動物の心臓と活動期にある 動物の心臓の比較である。変化している分子の機能から, 整合性のある考察がされるものの,そのような変化がな ければ心臓が冬眠時に拍動できないという確証を得るに は至っていない。冬眠中の心臓は,活動期の心臓と同様 に障害なく拍動する。そのため,両者を比較することに 主眼を置いたアプローチでは,低温下で拍動を維持する ための決定的な要因を解明するのは困難であると考えら れる。そこで私たちは,低温下で心拍動を維持する機序 を働かないようにすれば,冬眠動物の心臓も障害を受け るはずであると考え,冬眠と同等の低体温をハムスター に強制的に発現させ,障害を惹起することを試みた。す なわち,障害の起こらない冬眠時の心臓と,障害が発生 する強制低体温時の心臓とを比較すれば,目的とする事 象を解明できると考えたのである。
 強制的な低体温は,ペントバルビタール麻酔後に冷却 することで誘発した。ラットでは,体温が20℃ を下回る と心停止が起こったが,ハムスターの場合は冬眠と同等 の7℃ 程度に体温が低下しても,心拍動は維持された。 この結果は,冬眠動物の心臓には元来,低温下で拍動で きる性質が備わっていることを意味する。しかしながら, 強制的な低体温時には,刺激伝導系の異常を示す心電図 や,心筋の障害に起因する異常心電図(J 波)が導出された。 このような異常心電図は,冬眠を誘発させるときと同じ ように寒冷・短日環境に馴化させたハムスターにおいて も認められた。冬眠時に起こる分子発現の変化を完了し ているはずの動物においても,強制低体温時に依然とし て心筋の障害が発生する事実は,これまで重要視されて きた適応変化が,少なくとも急激な体温低下によっても たらされる障害を回避する機序ではないことを示すこと になる。一方,脳室内にアデノシンA1 受容体のアゴニス トを投与した後に冷却を加えた低体温では,刺激伝導系 の異常や心筋の障害に関連する異常心電図は観察されな かった。従って,脳内アデノシン系の活性化によっても たらされる生体反応が,極度の低体温下で心拍動を維持 する仕組みに関与しているものと推察される。今後,障 害の起こる強制低体温と,障害の起こらない冬眠とを比 較することによって,冬眠時に健常な心拍動を実現する メカニズムが解明されることが望まれる。