宇宙航空環境医学 Vol. 46, No. 1, 1-4, 2009

追 悼

黒田勲先生 追悼文  
垣本由紀子  
 
日本ヒューマンファクター研究所  
   

 日本ヒューマンファクター研究所の創設者であり所長であった黒田先生がご逝去されたのは,2009年2月17日,享年81歳であった。2月12日早朝呼吸困難を訴えられ,救急車にて緊急入院をされたが(亜急性心筋梗塞),ご子息によれば,3日後ぐらいからは,すこぶるお元気になられパソコンを持参するよう頼まれたり,本を持参したりということであった。そのお話から所員一同安心し,よもや突然のご逝去とは想像だにせず,だれもお見舞いに行っていないうちに本当に突然のご逝去であった。
 航空医学実験隊時代および,日本ヒューマンファクター研究所にて約2年間ご指導を賜った者として,謹んで追悼を申し上げたいと存じます。

 ご経歴
 先生は,昭和2年8月,北海道旭川市にお生まれになり,医師を目指し,北大医学部にご入学になり,昭和26年同医学部をご卒業になられました。引き続き医学部の助手を務められ,昭和28年6月からは,国立公衆衛生院技官として,4年半務められ,この間のご研究により昭和33年1月,医学博士号を取得されました。
 航空自衛隊には,昭和32年12月に,航空医官としてご入隊され,昭和58年航空自衛隊をご退官されるまで約26年間航空自衛隊に勤務されました。
 昭和58年12月に航空自衛隊を退官されてから後は,日本航空特別講師,慶応義塾大学講師などを務められ,昭和63年4月から平成10年3月まで10年間早稲田大学人間科学部教授として若者の教育に力を注がれました。
 そして,平成10年11月には,私財を投げ打ち日本ヒューマンファクター研究所を設立され,所長として航空に限らず,医療,原子力関係,鉄道,各種企業などにおける安全問題にヒューマンファクター的見地から取り組んでこられました。いかにして事故をゼロに近づけるか,この問題に先生は誠心誠意取り組んでおられました。むずかしいことをやさしく,やさしいことを深く,深いことを面白く,そしていつも人間を愛しつつ,これが先生のモットーでした。

 この間,防衛庁時代は,第一航空団衛生隊長,航空幕僚監部の役職を歴任され,昭和41年11月5日,黒田先生は,航空医学実験隊航空事故班長として立川に赴任されて参りました。このとき,上司として黒田先生にはじめてお目にかかった次第です。その後昭和45年には,第1部長兼第2部長となられ,52年2月まで実験隊に勤務され,52年には,航空幕僚監部の首席衛生官として転出され,55年1月4日には,空将となられ,第5代航空医学実験隊長として実験隊に赴任されてこられました。
 ここで,航空事故班長時代,および第一部長兼第2部長時代の黒田先生のエピソードとしては,先ず,猛烈に勉強される先生のお姿でした。昼休みは顕微鏡を覗くか原書を読んでおられました。私たち航空事故班員は外でテニスやキャッチボールに騒いでいたころ,先生は遊びには一切加わらず,もっぱら勉強されておられました。また,かなり頻繁に昼休み,われわれ事故班員が集められ,「航空自衛隊の航空機の事故率は?現用の航空機の種類は?」「衛生隊は,基地業務群に属しているか?」などと質問攻めにあい,一同まともに答えられず「現場を知れ」と叩き込まれました。当時は,事故班員とはいえ,視知覚実験に明け暮れ,実験室にこもってばかりの日々で,先生に活を入れられたところでした。なお,航空自衛隊ご退官後の早稲田時代,ヒューマンファクター創設から同所10周年までについては,エピソードを存じ上げない部分のため記述ができず申し訳なく存じます。

 航空事故調査関連
 昭和41年は,航空事故多発の1年でしたが,2月4日,全日空B727羽田沖事故,1ヵ月後の3月4日,カナダパシフィック航空DC8機の羽田空港着陸事故,翌3月5日,BOACによるB707機の富士山上空の空中分解事故,11月13日,松山空港でのYS11事故,これら重大事故のいずれにも先生の所へ,事故分析担当者が頻繁に訪れ,先生は,原因解明のために懸命にご尽力されました。また,YS11の原因究明のため,航空医学実験隊の施設を使って加速度衝突実験を実施いたしましたが,そのため,航空医学実験隊始まって以来の,高価な消耗品としてYS11の椅子2脚が,航空事故班室にやってきたのを記憶している。
 昭和46年7月3日発生の東亜国内航空「ばんだい号」の函館市横津岳中腹衝突事故では,政府の調査団へヒューマンファクター専門家として当時の隊長,横堀栄先生とともに,初めて招聘されました。
 昭和46年7月30日発生の雫石事故に際しましても,科学的なアプローチによる原因究明にご活躍されました。
 最近の事故調査関係では,2001年1月31日に発生した日航機同士のニアミス事故において,航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)が,主催する本ニアミス事故に関する意見聴取会において,また,2005年4月25日発生のJR福知山線事故において,同様に航空・鉄道事故調査委員会が主催する意見聴取会において公述人を務められた。

 航空宇宙関係連
 宇宙関係では,有人宇宙サポート委員会委員長として長らく貢献され,2008年10月24日,JAXA理事長から黒田先生に感謝状が贈呈された。その際,毛利衛宇宙飛行士,向井千秋宇宙飛行士および土井隆雄宇宙飛行士が発起人となり受賞記念祝賀会を開催し,黒田先生を囲んで大いに盛り上がった。
 また,人を対象とする研究開発倫理審査委員会委員長を長年務められ,増加する研究の中で倫理的見地から,宇宙飛行士の健康を終始気にかけておられた。
 宇宙関係での先生の最後のお仕事となったのが日本産科婦人科学会神奈川地方部会会誌46巻1号(2009)掲載の特別講演「宇宙医学の現状」であった。

 日本ヒューマンファクター研究所所長時代の実績
 最も先生が貢献されたことは,13名のヒューマンファクタースペシャリストを育成したということになるのではないかと一所員として思うところであるが,主たる実績は項目としてあげれば以下のようになる。

・船舶乗組員と薬剤に関する調査研究[平成13年度]
・原子力発電分野における品質管理に関する調査研究[平成13年度]
・海運における危険遭遇体験に関する制度の運用に関する研究[平成13年度, 14年度]
・船舶乗組員と疲労に関する調査研究[平成14年度]
・半導体製造業における事例分析の調査研究[平成14年度]
・海運における危険遭遇体験報告制度の運用[平成15年度以降継続]
・医療における安全報告制度の運用[平成16年度]
・医療におけるリスクマネジメント支援[平成16年度以降継続]
・科学技術開発に伴う事故要因の分析調査研究[平成16年度以降継続]
・鉄道安全に関する調査研究[平成16年度, 17年度,18年度,19年度]
・海運におけるヒューマンファクター訓練導入支援[平成16年度,17年度,18年度]
・原子力発電所事故に関する要因の分析検討[平成17年度,18年度]
・発電所電力供給支障事故に関する解析指導[平成18年]
・鉄道事故に関する要因の分析検討[平成17年度]
・化学プラント事故に関する要因の分析研究[平成17年]
・電力会社作業事故解析,指導[平成18年度]
・鉄道に対する安全活動支援[平成18年度]
・海上輸送に関する危険分析[平成18年度]
・製鉄会社危険評価[平成18年度]
・電力会社におけるエラー防止に関する研究[平成19年度以降]
・鉄道における事故調査技術に関する研究[平成20年度]

 おわりに
 先生の口癖は「いったい後何回食事ができると思うか?」でした。先生は,食事を絶対残さずきれいに召し上がり,それもいつもおいしそうに楽しそうに召し上がっておられました。日本ヒューマンファクター研究所においても,慈恵医大の裏にあるうなぎ専門店「本丸」のかば焼き定食をいつもおいしそうに召し上がっている姿が印象に残ります。
 まさに巨星墜つ,まだまだお元気であっただけに誠に残念なことです。心からご冥福をお祈り申し上げたいと存じます。




思い出の写真


 
日本ヒューマンファクター研究所10周年記念パーティーにて
(左は研究所員と。右は柳田邦夫氏と。)


 
毛利,向井,土井宇宙飛行士が発起人となったJAXA理事長感謝状受賞記念祝賀会にて


 
米国航空宇宙医学会(AsMA)にて
(左は1991年オハイオにて 右は1992年マイアミビーチにて)