宇宙航空環境医学 Vol. 45, No. 4, 149, 2008

一般演題

35. 数時間にわたる航空機内相当の低酸素環境における脳循環の変化

西村 直子,小川 洋二郎,青木 健,斉藤 崇史,曷川 元,岩崎 賢一

日本大学医学部社会医学系衛生学分野

Changes in cerebral circulation during hours' mild hypoxia equivalent to in-flight cabin

Naoko Nishimura, Yojiro Ogawa, Ken Aoki, Takashi Saitoh, Hajime Katsukawa, Ken-ichi Iwasaki

Department of Social Medicine, Division of Hygiene, Nihon University School of Medicine

【背景および目的】 巡航中の航空機客室内は,0.7〜0.8気圧に与圧されており,酸素分圧も地上より20〜30% 低い。この軽度低酸素環境がヒトに与える生理学的影響は,安全性,快適性や乗員の作業効率等を論じる上で重要な因子である。航空機内の急病として,失神の発生頻度が高いと報告されている。その要因の一つとして,機内環境程度の軽度低酸素への急性曝露による,脳循環調節機能の障害が報告されている。その結果,一過性に正常の脳血流を維持できなくなり,失神を誘発する可能性がある。また,低酸素曝露下で数時間経過後に起きる換気応答(過換気)による低二酸化炭素血症は,脳血流を減少させる作用がある。一方,低酸素血症は重度なら脳血流を増加させるが,軽度の場合は明らかでなく,時間経過に伴ってその作用が出現する可能性は考えられる。相反する両要因の存在下での脳血流の変化は一概に予測できない。そこで,脳循環の変化を換気応答と関連させ,数時間にわたる航空機内相当の低酸素環境で,経時的に観察し評価することとした。
 【方法】 健康成人14名を,低酸素テント内でリクライニングシートに座らせ,低酸素ジェネレーターとダグラスバッグを用いて常圧低酸素曝露を行った。旅客機の離陸から巡航高度到達までにかかる時間に相当する約30分かけてテント内酸素濃度を,21%(ベースライン)から15% まで低下させ,5時間維持した。テント内の二酸化炭素濃度は1,000 ppm(0.1%)以下,気温は23〜25°C,湿度は50〜70% にコントロールした。21% ベースライン,15% 低酸素到達直後,その後1時間毎に各6分間,一心拍毎の動脈圧と中大脳動脈血流速度を連続測定した。また,各測定時に,1 分毎の動脈血酸素飽和度,呼吸数および呼気終末二酸化炭素濃度を記録した。各指標は,6分間の測定値の平均を用いた。統計処理は,一元配置反復測定分散分析およびStudent-Newman-Keuls検定を用いて行った。
 【結果】 低酸素曝露直後から,動脈血酸素飽和度が低下し,5時間継続した。平均血圧と心拍数には,低酸素曝露中,有意な変化がなかった。一方,低酸素曝露2時間後から,呼気終末二酸化炭素濃度が有意に低下し(平均2.8 mmHg低下),それに伴い脳血流速度の有意な低下(平均7.0% 低下)が起こった。2時間後から5時間後まで両指標は漸減傾向だったが,有意差は認めなかった。
 【考察】 巡航中の航空機客室内相当の15% 低酸素により,動脈血酸素飽和度が有意に低下し,低酸素血症になることがわかった。一方で,低酸素曝露2時間後から換気応答が明らかになり,過換気の結果,低二酸化炭素血症が起きて,それに伴い脳血流速度が有意に低下した。つまり,「低酸素血症」と「換気応答に伴う低二酸化炭素血症による脳血流低下」という2つの要因が重なることで,脳への酸素供給が殊更に減少することが示唆された。このため,軽度の血圧低下によっても,一過性に脳への正常な酸素供給を維持できなくなり,失神発作が誘発されるリスクが高まると考えられた。
 【結語】 数時間にわたる軽度低酸素曝露が脳循環調節に及ぼす影響を評価した結果,航空機内程度の 15% 低酸素曝露により,曝露2時間後から過換気に伴って有意な脳血流低下が起こり,低酸素血症と併せて脳への酸素供給が著しく減少する可能性が示唆され,機内で発生する失神との関連が考えられた。
 ※本研究は,文部科学省科学研究費補助金を受けて行ったものである。