宇宙航空環境医学 Vol. 45, No. 1, 11-16, 2008

原著

香りが心拍動リズムの動揺に与える影響

八木 俊衣1,田島 幸信1,廣濱 秀次1,肥田 不二夫2,小林 郁夫3,川嶋 賢一4
新里 昭保5,吉岡 利忠6

1株式会社シームス
2日本大学芸術学部
3帝京平成大学現代ライフ学部
4日本光電工業(株)医療機器技術センター
5クリエーティブ企画
6弘前学院大学

The Effect of Fragrance on Heart Rate Variability

Toshie Yagi1,Yukinobu Tajima1, Shuji Hirohama1, Fujio Koeda2, Ikuo Kobayashi3, Ken’ichi Kawashima4,
Shoho Niizato5, Toshitada Yoshioka6

1Seems Inc., Tokyo
2Nihon Univ., Col.Art, Saitama
3Teikyo Heisei Univ., Chiba
4Hihon Kohden Corpo.,Tokyo
5Creative Life Inc., Tokyo
6Hirosaki Gakuin Univ., Aomori

ABSTRACT
 Influence of fragrance on the heart rate and R-R interval (RRI) variation (RRV) in male and female university students were studied. High and low frequency elements from the RRI, recorded for short duration, were classified by a newly programmed computer. A two-dimensional trajectory of heart rate variation (X-axis: RRV, Y-axis: heart rate, beats per min) was analyzed and expressed as a psychological composure. The fragrance emitted from grapefruit (GF) and a Japanese cypress (BK) caused an increase of the psychological composure compared with non-fragrance condition (p<0.01). These observations strongly suggested that the fragrance of GF and BK may improve the parasympathetic nervous function.

(Received: 12 November, 2007 Accepted: 20 December, 2007)

Key words: Heart Rate, R-R Interval (RRI), R-R Variation (RRV), Fragrance, Autonomic Nervous System

はじめに
 現代社会においては,利便性,快適性を追求するあまり身体的(フィジカル)よりもむしろ精神的(メンタル)な負荷が加わる傾向にあり,悩み,不安,ストレスなどを抱えている人たちは6割を超えている3,8,10〜12)。このことは,心身を調整する自律神経機能に影響を与えることとなり,最近ではそのような生体ストレスから開放するためにさまざまな器具・用具の使用,運動の効用,環境設定,サプリメント,アロマテラピー,訓練活用法がメディアを賑わしている。自律神経系の交感神経および副交感神経活動状態は,詳細な心拍動リズムの動揺から得られる高周波成分,低周波成分の分析によって得られる1,2,4)。実際には心電図波形のR-R間隔(R-R interval, RRI)およびそのばらつき(R-R variation, RRV)を計測し,スペクトル解析を経てパワー分析して得られる4)。自律神経系の活動は,物事に集中している時には規則的な早い心拍動になり,リラックスしている時には不規則で遅い心拍動になり,これらの測定値を二次元軌跡図で表し,それぞれが占める区域の中心を求め「心のゆとり度」として定量化した。この数値が高ければ高いほど,リラックスできていると評価できる18,19)
 古来,心地よい香り(芳香物質)を嗅ぐことは,心を癒したり,心を静めたり,精神を統一したり,ストレスから開放させたりすることを我々は自然と身に付けている。自律神経系活動を分析するには長時間の心電図測定が必要とされるが,我々は短時間で分析する装置ならびにソフトを開発し,その自律神経系活動を「心のゆとり度」として定量的に判定している5〜7,14,15)。本論文では,開発された装置を用い2種類の香りが「心のゆとり度」にどのような影響を及ぼすかについて検討した。

方法
 本研究にあたってはヘルシンキ宣言を遵守し,また,聖マリアンナ医科大学倫理規定および弘前学院大学倫理規定の則り行われた。被験者は温度(25°C前後),湿度(60%前後)が一定で騒音がなく空気の流れが一定である隔離された部屋で,開発されたソフトが組み込まれた測定機の前に座り,デスプレー上においてプログラムされた行程で測定を行った16)。某大学デザイン学科の健康な男女学生20人(年齢20±2歳,平均±SD)を被験者とし,一日に4人,一日の測定は2回までとし,一回の測定かかる時間はおおよそ30分であった。香りは,株式会社シームス(R&D製)から提供されたグレープフルーツ系(GF)およびヒノキベース系(BK)を用いた。両者の香りは,2004年および2005年に開催された「GoodDesign Presentation東京」において評価されたものであり,誰もがその香りを感じる程度の穏やかな香り度とした。GFおよびBKの濃度は3〜5%であった。香料の入った小瓶を鼻先10センチ程度のところにかざし,10秒間程度嗅がせた。全被験者に対して香料を嗅がせた時とそうでない時(無香,コントロール)に,それぞれ安静時およびデスプレー上での作業時の心拍変動を集積した。
 蓄積した心拍変動から自律神経活動の定量評価を試みた。自律神経系の活動は,物事に集中している時には規則的な早い心拍動になり,リラックスしている時には不規則で遅い心拍動になる。そこで,それぞれの条件下でのRRIおよびRRVを分析し,コンピュータによる二次元軌跡図を作成した。測定は香りを嗅がせた時と無香(コントロール)の条件で,デスプレー上でタッチパネルを利用した作業を行わせた後に休憩をとり,そのセットを3回繰り返した。両条件で多数のスポットが塊状に記録され,それらのスポットの特徴が円形あるいは楕円形として表現しそれらの中央点である重心を求めた。RRIおよびRRVの測定および数式は,Fig.1に示した4,17)。中心が離れていればいるほど,すなわちその数値が高ければ高いほど,リラックスしていると評価可能になる。データは平均±SDで示し,群間の統計的有意差はstudent t-testを用い,危険率1%▽あるいは5%▽未満を有意差があるとした。なお,二次元軌跡図を用いて「心のゆとり度」を解析する手法は,特許出願されている

結果
 Fig.2には典型的な心拍数と二次元軌跡図が示されており,開発されたソフトによって横軸にRRVおよび縦軸に心拍数の分布状態を楕円形の変動区域として示し,それらの中心は一定の数式をもって計算可能となる4,16)。香料を嗅がせた時とそうでない時(無香)の重心の隔たりを数値化した。1つの軌跡図には,作業時と安静時の2つの変動区域が示されている。一般的に「心のゆとり度」として4個のパターンが得られる。すなわち,Fig.2中Aでは作業中は集中して,安静時には充分リラックスしている状態であり,Fig.2中Dでは作業中は集中できず,安静時にはリラックスしていない状態であり,残りの2個(Fig.2-BおよびC)はそれぞれの中間位に属するものである。これらの結果から,Aの場合,「心のゆとり度」は高く分析されたと見なし,Dの場合,「心のゆとり度」は低いと分析された。Fig.3には,GFおよびBKを嗅がせた実際の二次元軌跡図が示されており,この場合の両者の「心のゆとり度」はそれぞれ2.73および3.32と計算される。全ての被験者(20例)の結果は,Fig.4に示されている。すなわち,無香での「心のゆとり度」は1.6±1.3で,GFの場合は4.1±3.2,BKでは2.7±0.7となり,無香とそれぞれの間では危険率1%未満で有意差があった。グレープフルーツ系(GF)の香りやヒノキベース系(森林浴系,BK)の香りを嗅いだことにより,ここで用いた「心のゆとり度」は高くなり,気持ちが落ち着くあるいは心が癒された状態になっていると評価できる。両者の香りの間では,GFにおいて「心のゆとり度」が高い傾向にあった。


「心のゆとり度」分析に係わる特許出願番号は,第19132号,第93637号,第320797号,第311424号,第194978号および第232950号であり,後2者を除き特許出願公開され,それぞれ号数が付いている。また,日産自動車(株)より「メンタル?ストレス判定装置」として特許番号第3144322号,「ストレス度判定装置」として特許番号2974017号が付記されている。





Fig. 1. A method for evaluating the heart rate variation ( RRV ) from the heart rate intervals ( RRIs,upper trace ) and a formula for calculating the RRV ( lower trace ) .



考察
 一般に心理的側面のチェックとして有効であるものは,心電図波形および脳波測定からの情報であるとされる。心電図波形のR-R間隔の時系列解析から自律神経系機能を評価する試みは確立されているが4,14),長時間に亘るデータの集積が必要となる。今回,我々によって特別なソフトが開発され,短時間の心電図測定からその評価が得られるようになった。この測定法については,これまでの多くの報告から既に確立された方法となっている4,9,15,17)。すなわち,香りと形による自律神経系の変動7),運動時の事故防止の観点14),トレーニング効率の向上13,14),労働作業,健康状態の把握に利用されてきている16,18,19)
 いわゆる「心のゆとり度」は,気持ちが落ち着く状態,ストレスからの開放感,心身共に安定している状態を総合的に示している一種の指標である。香りは,特に,香り度あるいは香りの濃度については,その好き嫌いも含めて感覚する(感じ取る)個人差が大きい。本邦においては,香道という極めて高尚な作法を挙げるまでもなく,多くの先人研究者によって匂いの研究がなされているが,科学的に情動と感覚について解明されたわけではない。近年,“香り”を用いることはアロマテラピーなどと称され,いわゆる癒し系のナンバーワンとしての地位を確立しているように見える。今回用いた2種類の香りは,どちらも「気持ちが落ち着く」,「ゆとりが出てくる」,「気持ちがいい」などと,定性的に評価されているものであり,香料としてさまざまな商品に含まれている。 柑橘系(GF)および森林浴系(BK)ともに「心のゆとり度」の数値が高くなっていることから,半定量的ではあるが両者の香りはこころを落ち着かせることを示している。数値から判定すれば,GFでBKよりその効果が高く出た。今回はそれぞれの香料の濃度あるいは嗅がせた時間などを違えて実験したわけではないので,どちらに明瞭な効果があるのかは判定できない。しかし,これらの香りによって心拍動揺が導かれ交感神経および副交感神経系の自律神経系機能に影響を及ぼし,その高周波成分,低周波成分に変動を与えたものと考えられる。



Fig. 2. The typical two dimensional trajectory patterns during the four kinds of conditions.Condition A :Full concentra- tion while working,followed by relaxation in a resting state. Condition B:Poor concentration while working, followed by relaxation in a resting state.Condition C:Concentration while working,followed by poor relaxation in a resting state.Condition D :Poor concentration while working,followed by poor relaxation in a resting state. Each oval indicates the scopes of the heart rate ( HR,beats per min ) and heart rate variation ( RRV ) speci□c for either the working ( open oval ) and resting ( □lled oval ) . When the center of each oval analyzed from RRV ( Fig. 1 ) exhibited a wide separation,a higher psychological composure was obtained ( 4,7,16 ) .



まとめ
 2種類の香りが心拍リズムに与える影響について自律神経系機能を短時間で分析可能にした装置で判定したところ,グレープフルーツベースおよびヒノキベースの香りを嗅がせた場合,両者とも無香の場合に比較してリラックス状態が引き起こされ,いわゆる「心のゆとり度」が高くなることが示唆された。両者間ではグレープフルーツ系の香りで,「心のゆとり度」が高い傾向にあった。

謝辞
 図の作成に当たっては,弘前学院大学情報センター長の斎藤昭氏に感謝いたします。

Fig. 3. Two dimensional trajectories from the fragrances of grapefruits ( GF )( Fig.3 A ) and Japanese cypress trees ( BK ) ( Fig.3 B ) . The rates of psychological composure for each ( GF and BK ) are 2.73 and 3.32,respectively. Both conditions indicate to a higher comfortable state.In Fig.3 A,the mean heart rate is 71 beats per min and RRV is 4.06 at rest ( filled oval ) ,and 82 and 1.01 at working ( open oval ) ,respectively.In Fig.3 B,the mean heart rate is 88 beats per min and RRV is 2.81 at rest ( filled oval ) ,and 95 and 0.70 at working ( open oval ) ,respectively.



Fig. 4. The rate of psychological composure in response to fragrance of fragrance of grapefruits ( GF ) and of Japanese cypress ( BK ) .Upper panel:The rates were 1.6 ± 1.3 ( mean ± SD ) and 4.1 ± 3.2 ( mean ± SD ) in the control ( CT ) and GF,respectively.Lower panel:The rates were 1.6 ± 1.3 and 2.7 ± 0.3 in the CT and BK,respectively. **:p < 001.



文献

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