宇宙航空環境医学 Vol. 42, No. 4, 2005

シンポジウム抄録

S-2. 微小重力のヒト脳血流調節機能への影響

岩崎 賢一

日本大学医学部社会医学講座衛生学/宇宙医学

Effect of microgravity on cerebral autoregulation

Ken-ichi Iwasaki

Department of Hygiene and Space Medicine, Nihon University School of Medicine

宇宙飛行後の起立耐性低下に関して,長年研究されてきたにも関わらず,その発生機序については未だに研究者の間で見解の一致をみていない。飛行後の起立時失神は,最終的には脳血流の供給不足により症状が出現するが,そこに至る機序には多くの因子が関係していると考えられている。これまでの研究の多くは起立耐性低下の機序を宇宙飛行により血圧調節機能が障害され起立時に血圧が異常に低下するものであると考え,様々な血圧調節の機構を詳細に検討してきた。しかし血圧調節の破綻がなく血圧低下が軽微でも,血圧の変化を緩衝し脳に一定の血液を供給するための機構(脳血流自動調節)が障害されれば,宇宙飛行後に起立耐性低下が発生する可能性がある。実際過去のベットレスト実験において,脳血流調節が障害されている可能性が指摘されている。また,微小重力環境で静水圧勾配が除かれ,体液移動が起こって体循環調節が変化することから,微小重力環境への適応は人の脳血流自動調節を悪化させると我々は仮定した。
 そこで,ニューロラボ自律神経チームのなかのProf. Blomqvistグループにおいては,体循環調節だけでなく,脳血流調節に関し経頭蓋ドップラ血流計を用いて検討した。その際,ヒトの脳血流自動調節能は変動の速度により異なること(周波数特異性)が知られているので,この変動速度依存性の特性も考慮し動的な脳血流自動調節機能も評価した。スペースシャトルのニューロラボミッションの男性宇宙飛行士6人を被検者として実験した。打ち上げ前(打ち上げ23日前: L-23),飛行中(飛行7,8日目: L+7,8,及び,飛行12,13日目: L+12,13),地上帰還後(帰還直後: R+0,帰還後1日目: R+1,帰還後5,6日目: R+5,6)に中大脳動脈の血流速度と指動脈血圧を安静時に測定した。さらに,打ち上げ前(L-23),飛行中(L+7,8,及び,L+12,13),地上帰還後(R+1, R+5,6)にLBNP(-15 mmHg, -30 mmHg)負荷を行ない,打ち上げ前(L-23),地上帰還後(R+0)には60度upright tilt負荷をおこない,血圧,脳血流速度の変化について検討した。動的脳血流自動調節機能は血圧変動と脳血流速度変動の周波数解析と両変動間の伝達関数解析を用いて評価した。
 その結果,平均血圧は飛行後に上昇したが,我々の予想に反し,脳血流速度は飛行中,飛行後ともに変化しなかった。さらに,LBNPと起立負荷による脳血流速度の低下の程度についても宇宙飛行は明らかな影響を示さなかった。血圧変動と脳血流変動の相関の強さとその伝達の割合の指標となるコヒーレンスとゲインは,低周波数帯において,飛行中及び飛行後に有意に低下し,低周波数帯の脳血流変動量も飛行中及び飛行後に有意に低下した。つまり,宇宙飛行中及び飛行後は血圧変動に対応した脳血流変動の割合が減少し,脳血流変動がより少なくなって安定していたことを意味する。
 これらの結果から考えて,当初の仮説とは逆に微小重力環境への曝露によってヒトの脳血流自動調節機能は保持もしくは増強されると考えられた。この当初の予想に反したニューロラボ研究結果が出たことを受けて,現在は微小重力環境適応により生じている様々な他の変化(中心血液量の変化,交感神経活動の変化,副交感神経活動の変化,血管系のリモデリング,静水圧勾配,前庭系入力の変化)のうち何がこの様な脳血流自動調節の変化をもたらす原因になったのかを解明するための地上での基礎的実験をおこなっている。